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死生
幸徳秋水
一 私は死刑に処せらるべく、今東京監獄の一室に拘禁せられて居る。 嗚呼死刑! 世に在る人々に取っては、是れ程忌わしく恐ろしい言葉はあるまい、**いくら**新聞では見、物の本では読んで居ても、**まさか**に自分が此忌わしい言葉と、眼前直接の交渉を生じようと予想した者は一個もあるまい、而も私は真実に此死刑に処せられんとして居るのである。 平生私を愛してくれた人々、私に親しくしてくれた人々は、斯くあるべしと聞いた時に如何に其真偽を疑い惑ったであろう、そして其真実なるを確め得た時に、如何に情けなく、浅猿しく、悲しく、恥しくも感じたであろう、就中て私の老いたる母は、如何に絶望の刃に胸を貫かれたであろう。 左れど今の私自身に取っては、死刑は何でもないのである。 私が如何にして斯る重罪を犯したのである乎、其公判すら傍聴を禁止せられた今日に在っては、固より十分に之を言うの自由は有たぬ。百年の後ち、誰か或は私に代って言うかも知れぬ、孰れにしても死刑其者はなんでもない。 是れ放言でもなく、壮語でもなく、飾りなき真情である、真個に能く私を解し、私を知って居た人ならば、亦た此の真情を察してくれるに違いない、堺利彦は「非常のこととは感じないで、何だか自然の成行のように思われる」と言って来た、小泉三申は「幸徳も**あれで**可いのだと話して居る」と言って来た、如何に絶望しつらんと思った老いたる母さえ直ぐに「斯る成行に就ては、兼て覚悟がないでもないから驚かない、私のことは心配するな」と言って来た。 死刑! 私には洵とに自然の成行である。これで可いのである、兼ての覚悟あるべき筈である、私に取っては、世に在る人々の思うが如く、忌わしい物でも、恐ろしい物でも、何でもない。 私が死刑を期待して監獄に居るのは、瀕死の病人が施療院に居るのと同じである、病苦の甚しくないだけ更に楽かも知れぬ。 これ私の性の獰猛なるに由る乎、癡愚なるに由る乎、自分には解らぬが、併し今の私に人間の生死、殊に死刑に就ては、粗ぼ左の如き考えを有って居る。 二 万物は皆な流れ去るとヘラクリタスも言った、諸行は無常、宇宙は変化の連続である。 其実体には固より終始もなく生滅もなき筈である、左れど実体の両面たる物質と勢力とが構成し仮現する千差万別・無量無限の個々の形体に至っては、常住なものは決してない、彼等既に始めが有る、必ず終りが無ければならぬ、形成されし者、必ず破壊されねばならぬ、生長する者、必ず衰亡せねばならぬ、厳密に言えば、万物総て生れ出たる刹那より、既に死につつあるのである。 是れ太陽の運命である、地球及び総ての遊星の運命である、況して地球に生息する一切の有機体をや、細は細菌より大は大象に至るまでの運命である、これ天文・地質・生物の諸科学が吾等に教ゆる所である、吾等人間惟り此鈎束を免るることが出来よう歟。 否な、人間の死は科学の理論を俟つまでもなく、実に平凡なる事実、時々刻々の眼前の事実、何人も争う可らざる事実ではない歟、死の来るのは一個の例外を許さない、死に面しては貴賎・貧富も善悪・邪正も知愚・賢不肖も平等一如である、何者の知恵も遁がれ得ぬ、何者の威力も抗することは出来ぬ、若し如何にかして其を遁がれよう、其れに抗しように企つる者あらば、其は畢竟愚癡の至りに過ぎぬ。只だ是れ東海に不死の薬を求め、バベルに昇天の塔を築かんとしたのと同じ笑柄である。 成程天下多数の人は死を恐怖して居るようである、然し彼等とても死の免がれぬのを知らぬのではない、死を避け得べしとも思って居ない、恐らくは彼等の中に一人でも、永遠の命は愚か、伯大隈の如くに百二十五歳まで生き得べしと期待し、生きたいと希望して居る者すらあるまい、否な百歳・九十歳・八十歳の寿命すらも、先ずは六かしいと諦らめてるのが多かろうと思う、果して然らば彼等は単純に死を恐怖して、何処までも之を避けんと悶える者ではない。彼等は自ら明白に意識せると否とは別として、彼等が恐怖の原因は別に在ると思う。 即ち死ちょうことに伴なう諸種の事情である、其二三を挙ぐれば、(第一)天寿を全うして死ぬのでなく、即ち自然に老衰して死ぬのでなくして、病疾其他の原因から夭折し、当然享くべく味うべき生を、享け得ず味わい得ざるを恐るるのである、(第二)来世の迷信から其妻子・眷属に別れて独り死出の山、三途の川を漂泊い行く心細さを恐るるのもある、(第三)現世の歓楽・功名・権勢、扨は財産を打棄てねばならぬ残り惜しさの妄執に由るのもある、(第四)其計画し若くば着手せし事業を完成せず、中道にして廃するのを遺憾とするのもある、(第五)子孫の計未だ成らず、美田未だ買い得ないで、其行末を憂慮する愛着に出るのもあろう、(第六)或は単に臨終の苦痛を想像して戦慄するのもあるかも知れぬ。 一々に数え来れば其種類は限りもないが、要するに死其者の恐怖すべきではなくて、多くは其個個が有せる迷信・貪欲・愚癡・妄執・愛着の念を払い得難き性質・境遇等に原因するのである、故に見よ、彼等の境遇や性質が若し一たび改変せられて、此等の事情から解脱するか、或は此等の事情を圧倒するに足るべき他の有力なる事情が出来する時には、死は何でもなくなるのである。啻だに死を恐怖しないのみでなく、或は恋の為めに、或は名の為めに、或は仁義の為めに、或は自由の為めに、扨は現世の苦痛から遁れんが為めに、死に向って猛進する者すら有るではない歟。 死は古えから悼ましき者、悲しき者とせられて居る、左れど是は唯だ其親愛し、尊敬し、若くは信頼したる人を失える生存者に取って、悼ましく悲しきのみである、三魂、六魂一空に帰し、感覚も記憶も直ちに消滅し去るべき死者其人に取っては、何の悼みも悲みもあるべき筈はないのである、死者は何の感ずる所なく、知る所なく、喜びもなく、悲しみもなく、安眠・休歇に入って了うのに、之を悼惜し慟哭する妻子・眷族其他の生存者の悲哀が幾万年か繰返されたる結果として、何人も漠然死は悲しむべし恐るべしとして怪しまぬに至ったのである、古人は生別は死別より惨なりと言った、死者には死別の恐れも悲みもない、惨なるは寧ろ生別に在ると私も思う。 成程人間、否な総ての生物には、自己保存の本能がある、栄養である、生活である、之に依れば人は何処までも死を避け死に抗するのが自然であるかのように見える、左れど一面には亦た種保存の本能がある、恋愛である、生殖である、之が為めには直ちに自己を破壊し去って悔みない省みないのも、亦た自然の傾向である、前者は利己主義となり、後者は博愛心となる。 此二者は古来氷炭相容れざる者の如くに考えられて居た、又た事実に於て屡ば矛盾もし衝突もした、然し此矛盾・衝突は唯だ四囲の境遇の為めに余儀なくせられ、若くば養成せられたので、其本来の性質ではない、否な彼等は完全に一致・合同し得べき者、させねばならぬものである、動物の群集にもあれ、人間の社会にもあれ、此二者の常に矛盾・衝突すべき事情の下に在る者は衰亡し、一致・合同し得たる者は繁栄し行くのである。 而して此一致・合同は、常に自己保存が種保存の基礎たり準備たることに依て行われる、豊富なる生殖は常に健全なる生活から出るのである、斯くて新陳代謝する、種保存の本能大に活動せるの時は、自己保存の本能は既に殆ど其職分を遂げて居る筈である、果実を結ばんが為めには花は喜んで散るのである、其児の生育の為めには母は楽しんで其心血を絞るのである、生少かくして自己の為めに死に抗するも自然である、長じて種の為めに生を軽んずるに至るのも自然である、是れ矛盾ではなくして正当の順序である、人間の本能は必しも正当・自然の死を恐怖する者ではない、彼等は皆な此運命を甘受すべき準備を為して居る。 故に人間の死ぬのは最早問題ではない、問題は実に何時如何にして死ぬかに在る、寧ろ其死に至るまでに如何なる生を享け且つ送りしかに在らねばならぬ。 三 苟くも狂愚にあらざる以上、何人も永遠・無窮に生きたいとは言わぬ、而も死ぬなら天寿を全くして死にたいというのが、万人の望みであろう、一応は無理ならぬことである。 左れど天命の寿命を全くして、疾病もなく、負傷もせず、老衰の極、油尽きて火の滅する如く、自然に死に帰すということは、其実甚だ困難のことである、何となれば之が為めには、総ての疾病を防ぎ総ての禍災を避くべき完全の注意と方法と設備とを要するからである、今後幾百年かの星霜を経て、文明は益々進歩し、物質的には公衆衛生の知識愈々発達し、一切公共の設備の安固なるは元より、各個人の衣食住も極めて高等・完全の域に達すると同時に、精神的にも常に平和・安楽にして、種々なる憂悲・苦労の為めに心身を損うが如きことなき世の中となれば、人は大抵其天寿を全くするを得るであろう、私は斯様な世の中が一日も速く来らんことを望むのである、が、少くとも今日の社会、東洋第一の花の都には、地上にも空中にも恐るべき病菌が充満して居る、汽車・電車は、毎日のように衝突したり人を轢いたりして居る、米と株券と商品の相場は、刻々に乱高下して居る、警察・裁判所・監獄は多忙を極めて居る、今日の社会に於ては、若し疾病なく障害なく真に自然の死を遂げ得る人ありとせば、其は希代の偶然・僥倖と言わねばならぬ。 実際如何に絶大の権力を有し、巨万の富を擁して、其衣食住は殆ど完全の域に達して居る人々でも、又た彼の律僧や禅家などの如く、其の養生の為めには常人の堪ゆる能わざる克己・禁欲・苦行・努力の生活を為す人々でも、病いなくして死ぬのは極めて尠いのである、況んや多数の権力なき人、富なき人、弱き人、愚かなる人をやである、彼等は大抵栄養の不足や、過度の労働や、汚穢なる住居や、有毒なる空気や、激甚なる寒暑や、扨は精神過多等の不自然なる原因から誘致した病気の為めに、其天寿の半にだも達せずして紛々として死に失せるのである、独り病気のみでない、彼等は餓死もする、凍死もする、溺死する、焚死する、震死する、轢死する、工場の器機に捲込れて死ぬる、鉱坑の瓦斯で窒息して死ぬる、私慾の為めに謀殺される、窮迫の為めに自殺する、今の人間の命の火は、油の尽きて滅するのでなくて、皆な烈風に吹消さるるのである、私は今手許に統計を有たないけれど、病死以外の不慮の横死のみでも年々幾万に上るか知れないのである。 鰯が鯨の餌食となり、雀が鷹の餌食となり、羊が狼の餌食となる動物の世界から進化して、尚だ幾万年しか経ない人間社会に在って、常に弱肉強食の修羅場を演じ、多数の弱者が直接・間接に生存競争の犠牲となるのは、目下の所は已むを得ぬ現象で、天寿を全くして死ぬちょう願いは、無理ならぬようで、其実甚だ無理である、殊に私のような弱く愚かな者、貧しく賤しき者に在っては、到底望む可からざることである。 否な、私は初めより其を望まないのである、私は長寿必しも幸福ではなく、幸福は唯だ自己の満足を以て生死するに在りと信じて居た、若し、又人生に社会的価値とも名づくべきもの之れ有りとせば、其は長寿に在るのではなくて、其人格と事業とが四囲及び後代に及ぼす感化・影響の如何に在りと信じて居た、今も角く信じて居る。 天寿既に全くすることが出来ぬ、独り自分のみでなく、天下の多数も亦た然り、而して単に天寿を全くすることが、必しも幸福でなく、必しも価値ある者でないとせば、吾等は病死其他の不自然の死を甘受するの外はなく、また甘受するのが良いではない歟、唯だ吾等は如何なる時、如何なる死でもあれ、自己が満足を感じ、幸福を感じて死にたいものと思う、而して其生に於ても、死に於ても、自己の分相応の善良な感化・影響を社会に与えて置きたいものだと思う、是れ大小の差こそあれ、其人々の心がけ次第で、決して為し難いことではないのである。 不幸短命にして病死しても、正岡子規君や清沢満之君の如く、餓死しても伯夷や杜少陵の如く、凍死しても深艸少将の如く、溺死しても佐久間艇長の如く、焚死しても快川国師の如く、震死しても藤田東湖の如くならば、不自然の死も却って感嘆すべきではない歟、或は道の為めに、或は職の為めに、或は意気の為めに、或は恋愛の為めに、或は忠孝の為めに、彼等は生死を超脱した、彼等は各々生死且つ省みるに足らざる大なる或者を有して居た、斯くて彼等の或者は満足に且つ幸福に感じて死だ、而して彼等の或者は其生死共に尠からぬ社会的価値を有し得たのである。 如意輪堂の扉に梓弓の歌かき残せし楠正行は、年僅に二十二歳で戦死した、忍びの緒を断ちに名香を薫ぜし木村重成も亦た僅かに二十四歳で、戦死した、彼等各自の境遇から、天寿を保ち若くば病気で死ぬることすらも、耻辱なりとして戦死を急いだ、而して倶に幸福満足を感じて死んだ、而して亦た孰れも真に所謂「名誉の戦死」であった。 若し赤穂義士を許して死を賜うことなかったならば、彼等四十七人は尽く光栄ある余生を送りて、終りを克くし得たであろう歟、其中或は死よりも劣れる不幸の人、若くば醜辱の人を出すことなかったであろう歟、生死孰れが彼等の為めに幸福なりし歟、是れ問題である、兎に角、彼等は一死を分として満足・幸福に感じて屠腹した、其満足・幸福の点に於ては、七十余歳の吉田忠左衛門も十六歳の大石主税も同じであった、其死の社会的価値も亦た寿夭の如何に関する所はないのである。 人生死処を得ること難し、正行でも重成でも主税でも、短命にして且つ生理的には不自然の死であったが、而も能く其死処を得た者と私は思う、其死や彼等の為めに悲しむよりも寧ろ賀すべき者だと思う。 四 左は言え、私は決して長寿を嫌って、無用・無益とするのではない、命あっての物種である、其生涯が満足な幸福な生涯ならば、無論長い程可いのである、且つ大なる人格の光を千載に放ち、偉大なる事業の沢を万人に被らすに至るには、長年月を要することが多いのは言う迄もない。 伊能忠敬は五十歳から当時三十余歳の高橋左衛門の門に入って測量の学を修め、七十歳を超えて、日本全国の測量地図を完成した、趙州和尚は、六十歳から參禅修業を始め、二十年を経て漸く大悟徹底し、爾後四十年間、衆生を化度した、釈尊も八十歳までの長い間在世されたればこそ、仏日爾く広大に輝き渡るのであろう、孔子も五十にして天命を知り、六十にして耳順がい、七十にして心の欲する所に従って矩を踰えずと言った、老るに従って益々識高く徳進んだのである。 斯く非凡の健康と精力とを有して、其寿命を人格の琢磨と事業の完成とに利用し得る人々に在っては、長寿は最も尊貴にして且つ幸福なるは無論である。 而も前に言えるが如く、斯かる天稟・素質を享け、斯かる境界・運命に遇い得る者は、今の社会には洵とに千百人中の一人で、他は皆不自然の夭死を甘受するの外はない、縦令偶然にして其寿命のみを保ち得ても、健康と精力とが之に伴わないで、永く窮困・憂苦の境に陥り、自ら楽しまず、世をも益するなく、碌々昏々として日を送る程ならば、却て夭死に如かぬではない歟。 蓋し人が老いて益々壯んなのは寧ろ例外で、或る齢を過ぎれば心身倶に衰えて行くのみである、人々の遺伝の素質や四囲の境遇の異なるに従って、其年齢は一定しないが、兎に角一度健康・精力が旺盛の絶頂に達するの時代がある、換言すれば所謂「働き盛り」の時代がある、故に道徳・智識の如きに至っては、随分高齢に至る迄、進んで已まぬを見るのも多いが、元気・精力を要するの事業に至っては、此の「働き盛り」を過ぎては殆どダメで、如何なる強弩も其末魯縞を穿ち得ず、壮時の麒麟も老いては大抵驢馬となって了うのである。 力士の如き其最も著しき例である、文学・芸術の如きに至っても、不朽の傑作たる者は其作家が老熟の後よりも却って未だ大に名を成さざる時代の作に多いのである、革命運動の如き、最も熱烈なる信念と意気と大胆と精力とを要するの事業は、殊に少壮の士に待たねばならぬ、古来の革命は常に青年の手に依って成されたのである、維新の革命に参加して最も力ありし人々は、当時皆な二十代より三十代であった、仏国革命の立者たるロベスピエールもダントンもエベールも、斬首台に上った時は孰れも三十五六であったと記憶する。 而して此働き盛りの時に於て、或は人道の為めに、或は事業の為めに、或は恋愛の為めに、或は意気の為めに、兎に角自己の生命よりも重しと信ずる或物の為めに、力の限り働らきて倒れて後ち已まんことは、先ず死所を得たもので、其の社会・人心に影響・印象する所も決して浅からぬのである。是れ何人に取っても満足すべき時に死せざれば、死に勝さる耻ありと、現に私は、其死所を得ざりし為めに、気の毒な生恥じを晒して居る多くの人々を見るのである。 一昨年の夏、露国より帰航の途中で物故した長谷川二葉亭を、朝野挙って哀悼した所であった、杉村楚人冠は私に戯れて、「君も先年米国への往きか帰りかに船の中ででも死んだら偉いもんだったがなア」と言った。彼れの言は戯言である、左れど実際私としては其当時が死すべき時であったかも知れぬ、死処を得ざりしが為めに、今の私は「偉いもんだ」にならないで「馬鹿な奴だ」「悪い奴だ」になって生き恥じを晒して居る、若し此上生きれば更に生恥じが大きくなるばかりかも知れぬ。 故に短命なる死、不自然なる死ちょうことは、必しも嫌悪し忘弔すべきでない、若し死に嫌忌し哀弔すべき者ありとせば、其は多くの不慮の死、覚悟なき死、安心なき死、諸種の妄執・愛着を断ち得ざるよりする心中の憂悶や、病気や負傷よりする肉体の痛苦を伴う死である、今や私は幸いに此等の条件以外の死を遂ぐべき運命を享け得たのである。 天寿を全くするのは今の社会に何人も至難である、而して若し満足に、幸福に、且つ出来得べくんば其人の分相応――私は分外のことを期待せぬ――の社会的価値を有して死ぬとせば、病死も、餓死も、凍死も、溺死も、焚死も、震死も、轢死も、縊死も、負傷の死も、窒息の死も、自殺も、他殺も、なんの哀弔し嫌忌すべき理由はないのである。 然らば即ち刑死は如何、其生理的に不自然なるに於て、此等諸種の死と何の異なる所があろう歟、此等諸種の死よりも更に嫌悪し忘弔すべき理由があるであろう歟。 五 死刑は最も忌わしく恐るべき者とせられて居る、然し私には単に死の方法としては、病死其他の不自然と甚だ択ぶ所はない、而して其十分な覚悟を為し得ることと、肉体の苦痛を伴わぬこととは他の死に優るとも劣る所はないかと思う。 左らば世人が其を忌わしく恐るべしとするのは何故ぞや、言う迄もなく死刑に処せられるのは必ず極悪の人、重罪の人たることを示す者だと信ずるが故であろう、死刑に処せらるる程の極悪・重罪の人たることは、家門の汚れ、末代の恥辱、親戚・朋友の頬汚しとして忌み嫌われるのであろう、即ち其恥ずべく忌むべく恐るべきは、刑に死すちょうことにあらずして、死者其人の極悪の質、重罪の行いに在るのではない歟。 仏国の革命の梟雄マラーを一刀に刺殺して、「予は万人を救わんが為に一人を殺せり」と法廷に揚言せる二十六歳の処女シャロット・ゴルデーは、処刑に臨みて書を其父に寄せ、明日に此意を叫んで居る、曰く「死刑台は恥辱にあらず、、恥辱なるは罪悪のみ」と。 死刑が極悪・重罪の人を目的としたのは固よりである、従って古来多くの恥ずべく忌むべく恐るべき極悪・重罪の人が死刑に処せられたのは事実である、左れど此れと同時に多くの尊むべく敬すべく愛すべき善良・賢明の人が死刑に処せられたのも事実である、而して甚だ尊敬すべき善人ならざるも、亦た甚だ嫌悪すべき悪人にもあらざる多くの小人・凡夫が、誤って時の法律に触れたるが為めに――単に一羽の鶴を殺し、一頭の犬を殺したということの為めにすら――死刑に処せられたのも亦た事実である、要するに刑に死する者が必しも常に極悪の人、重罪の人のみでなかったことは事実である。 石川五右衛門も国定忠治も死刑となった、平井権八も鼠小僧も死刑となった、白木屋お駒も八百屋お七も死刑となった、大久保時三郎も野口男三郎も死刑となった、と同時に一面にはソクラテスもブルノーも死刑となった、ペロプスカヤもオシンスキーも死刑となった、王子比干や商鞅も韓非も高青邱も呉子胥も文天祥も死刑となった、木内宗五も吉田松蔭も雲井龍雄も江藤新平も赤井景韶も富松正安も死刑となった、刑死の人には実に盗賊あり殺人あり放火あり乱臣賊子あると同時に、賢哲あり忠臣あり学者あり詩人あり愛国者・改革者もあるのである、是れ唯だ目下の私が心に浮み出る儘に其二三を挙げたのである、若し私の手許に東西の歴史と人名辞書とを有らしめたならば、私は古来の刑台が恥辱・罪悪に伴える巨多の事実と共に、更に刑台が光栄・名誉に伴える無数の例証をも挙げ得るであろう。 西班牙に宗教裁判の設けられたる当時を見よ、無辜の良民にして単に教会の信条に服せずとの嫌疑の為めに焚殺されたる幾十万を算するではない歟。仏国革命の恐怖時代を見よ、政治上の党派を異にすというの故を以て斬罪となれる者、日に幾千人に上れるではない歟、日本幕末の歴史を見よ、安政大獄を始めとして、大小各藩に於て、当路と政見を異にせるが為めに、斬に処し若くば死を賜える者計うるに勝えぬではない歟、露国革命運動に関する記録を見よ、過去四十年間に此運動に参加せる為め、若くば其嫌疑の為めに刑死せる者数万人に及べるではない歟、若し夫れ支那に至っては、冤枉の死刑は、殆ど其五千年の歴史の特色の一とも言って可いのである。 観て此に至れば、死刑は固より時の法度に照して之を課せる者多きを占むるは論なきも、何人か能く世界万国有史以来の厳密なる統計を持して、死刑は常に恥辱・罪悪に伴えりと断言し得るであろう歟、否な、死刑の意味せる恥辱・罪悪は、その有せる光栄若くば冤枉よりも多しちょうことすらも、断言し得るであろう歟、是れ実に一個未決の問題であると私は思う。 故に今の私に恥ずべく忌むべく恐るべき者ありとせば、其は死刑に処せらるちょうことではなくて、私の悪人たり罪人たるに在らねばならぬ、是れ私自身に論ずべき限りでなく、又た論ずるの自由を有たぬ。唯だ死刑ちょうこと、其事は私に取って何でもない。 謂うに人に死刑に値いする程の犯罪ありや、死刑は果して刑罰として当を得たる者なりや、古来の死刑は果して刑罰の目的を達するに於て、能く其効果を奏せりやとは、学者の久しく疑う所で、是れ亦た未決の一大問題として存して居る、而も私は茲に死刑の存廃を論ずるのではない、今の私一個としては、其存廃を論ずる程に死刑を重大視して居ない、病死其他の不自然なる死の来たのと、甚だ異なる所はない。 無常迅速生死事大と仏家は頻りに嚇して居る、生は時としては大なる幸福ともなり、又た時としては大なる苦痛ともなるので、如何にも事大に違いない、然し死が何の事大であろう、人間血肉の新陳代謝全く休んで、形体・組織の分解し去るのみではない歟。死の事大ちょうことは、太古より知恵ある人が建てた一種の案山子である、地獄・極楽の簑笠つけて、愛着・妄執の弓矢放さぬ姿は甚だ物々しげである、漫然遠く之を望めば誠とに意味ありげであるが、近づいて仔細に之を看れば何でもないのである。 私は必しも強いて死を急ぐ者ではない、生きられるだけは生きて、内には生を楽しみ、生を味わい、外には世益を図るのが当然だと思う、左りとて又た苟くも生を貪らんとする心もない、病死と横死と刑死とを問わず、死すべきの時一たび来らば、十分の安心と満足とを以て之に就きたいと思う。 今や即ち其時である、是れ私の運命である、以下少しく私の運命観を語りたいと思う。
1453_16149.html
NDC 309 916
null
新字新仮名
ラ・ベル・フィユ号の奇妙な航海
モーリス・ルヴェル Maurice Level
「好い船だろう、え?」 だしぬけに声をかけられて、ガルールはふと顔をあげた。彼は波止場に腰をかけて両脚をぶら垂げたまま、じっと考えこんでいたのであった。 で、顔をあげると、一人の見知らぬ男が、背ろから屈みこんで、向うに碇泊している帆船の方を頤でしゃくっていた。 「好い船だろう?」 「うむ」ガルールは簡単に合槌をうった。 港は、海員の同盟罷業が長びいたために、ひっそり寂れてしまって、沈滞しきった姿を呈していた。 男はガルールの頭のてっぺんから、真黒に陽炎けのした頑丈な頸筋や、広い肩や、逞ましい腕のあたりをじろじろと見た。襤褸シャツを捲りあげた二の腕に「禍の子」「自由か死か」という物凄い入墨の文字が顔を出しているのをも、彼は見逃さなかった。 と、今度はガルールが、相手の容子をじろじろと見かえした。その男も陽に炎けて筋骨逞ましく、手の甲の拇指のところに碇の入墨がしてある。そして青羅紗の広い上衣に、折目正しいズボン、金筋入り頤紐つきの帽子――これを襤褸服姿のガルールなんかに較べると、まるで段ちがいに立派な服装だ。 ガルールは横っちょにペッと唾を吐きながら起ちあがって、ズボンの裾を捲りあげて立ち去ろうとすると、男は馴々しく肩へ手をかけて、 「ねえ君、そこいらで一杯飲ろうじゃないか」 湿っぽい夕風が身に沁みる。近所の酒場では、硝子窓の外の暗をすかしながら、ちびりちびり飲っている時分だ。 ガルールは酒と聞いて鼻をひこつかせたが、 「一杯飲ろうなんて、どうしたんですか?」 「飲みたくなったからさ」 海にも灯が入った――帆船の黄色い灯や、突堤の端に碇泊している監視船の青と赤の灯が、ちろちろ瞬きはじめた。 煙のように棚びいている夜霧のために、船の帆檣も海岸の人家もぼうっとぼかされ、波止場に積まれた袋荷や函荷も霧に罩められて、その雨覆にたまった雫の珠がきらきら光っていた。 男は先に立って、海岸のうす暗い路地の方へぐんぐん歩いて行ったが、とある小さなカッフェの戸口を開けると、ガルールを押しこむようにして奥の方の席に導いた。 そこは、天井が薄黒く煤け、壁のところどころに安物の石版画が貼りつけてあった。アルコールや、鰊樽や、煙草の臭いのむっと籠った室で、帳場のそばには貧弱な暖炉が燃えていた。 「酒は何がいい?」 「シトロン酒の強いやつを飲まして下さい」 ガルールは、男が出してくれた煙草を捲きながら答えた。 酒が来ると、ガルールは一息に飲みほした。男も一息に、しかし幾らか緩くり加減に飲り、不味そうに手の甲で唇を拭いて、何か考え事でもするように、洋酒の底をいじくりながら、 「一体君は、職業は何だね」 「そういうお前さんは?」 「おれかい。おれは先刻君も見たラ・ベル・フィユという二檣帆船の運転士だがね、姓名は......聞きたければ教えてもいいが」 「こうお交際を願ったからには、聞かしてもらいたいね」 「おれはモッフっていうんだが、君は?」 「私はチューブッフ(牛殺の意)」 「そんな姓名があるものか」 「でも、それで私が返事をして、用が足りたらいいでしょう」 「それはどうでもいいが、兎に角、大いに飲ろうじゃないか」 ガルールは二皿の料理を瞬く隙に平らげ、更になみなみと注いだ酒を飲み乾したが、それで漸と人心地がついたように、ほっと一息した。 次の皿には、焼豚がさも美味そうにほやほや煙を立てているが、モッフは、それを頒けるべくフォークを構え、ナイフをその肉にずぶりと突き刺したのを機会に、肝腎の話を切りだした。 「実はいい仕事があるんだが、君、一つ試ってみる気はないか」 「物によりけりですね」 といいながら、ガルールは皿の肉から眼が離せない。 「なアに、ぶらぶらしていて金になろうという仕事だよ。それはこうなんだ」とモッフは何故か声をひそめて、「おれは今もいったように、ラ・ベル・フィユ号の運転士だが、あの船は見たところ、小さくて弱そうだけれど、なかなか確かりした船だよ。あれよりもずっと立派な五本檣の帆船や大きな汽船が暴風を喰って避難港をさがしている時でも、彼船は平気なんだからね。ところで君は船に乗った経験があるかい?」 「ええ」 「遠洋かね?」 「なアに鼻っ先のレエ島へ行ったばかりでさア」 「貨物船だろうな?」 「ええ、それじゃ駄目ですかね」 と狡そうな眼付で相手の顔色を窺った。 「結構結構。どうせ腕っ節の要る仕事なんだ」 「そんなら、お前さんの船は同盟罷業じゃないんですね?」 「警戒おさおさ怠りなしさ。何しろ船長は支那人を二十人ばかり雇いこんだが、其奴等は馬鹿に忠実で、よく働いて、僅かな給料と半人前の食物を充てがわれ、軍艦同様な八釜しい規則にも、不平一つ云わずに服従しているんだ。ところが、おれは密かに彼等を語らって、船長に対して一騒動起そうという計画なんだ。あの連中は腕っ節も強いし、頭もあって確かりした手合だが、どうだい君も仲間に入らないか」 と彼は膝を乗りだして、一段と低声になって、 「ところで、こうした闘いは一遍にどっと勝を占めてしまわねばならん。一騎打ちをやっていた日にはどうなるか分らないからね。それに、おれの方の一味は二十人だが、いざとなると五、六人はきっと逃げるものだ。そこで君のような強い男が十人も加勢してくれると、わけないんだがなア」 「それはいいが、お前さんは船長達を殺つけた後で、港へ入れますか? そこんところを何ういって弁解するつもりかね?」 するとモッフは肩をそびやかして、 「そりゃ君、仏蘭西へ帰ることは疑問さ。しかし仏蘭西にばかり日が照りはしないよ。大洋は万人の領域で、港に事を欠かぬ。そこでは危険も幸運も共通だ。おれ達は自由に生きようではないか。最初に着いた港で船荷を売払って、他の品物を仕入れる。ポケットに金があるうちは陸で好き放題に遊んで、金がなくなればまた航海さ」 ガルールはもう飲食どころではなかった。彼は眼を細めて、遠い、太陽と夢幻の国へ航海する光景を、恍惚と夢見ているのであった。 「どうだい、金は使いきれないほど儲かるんだぜ。あの魔法使が一夜に建てたかと思われる、夢のような都市へ行ってみたまえ。彼等は暢気にも鞭で奴隷を使っていて、夜が昼のように華やかなんだ。永遠の春だね。それに、お伽にあるような不思議な鳥や、世にも珍らしい香料......」 モッフの話は、まるで音楽のようにガルールの耳をこそぐった。 「素的素的」ガルールはすっかり誘入れられてしまって、「その加勢の人数は私が引受けます。一週間と経たないうちに、きっと纏めてつれて来ます」 「一週間なんて、暢気なことを云っちゃ困る。明日の晩までに集めてくれないか。船は明日の夜半の満潮と同時に出帆することになっているんだ」 「そいつア早過ぎますね。だが、一つ試ってみましょう。それで、手筈はどうすればいいんですか」 「明日の今時分に船へ来てくれ。その時分にはおれの外に誰も甲板へ出ていないが、ひょっとして見付かると可けないから、目立たぬように、二、三人ずつ密とやって来たまえ。事を挙げるまでは、少しの間船艙に隠れていて貰わにゃならんが、そこはだだっ広いから、君等は鱈腹食って飲んで臥ころんでいてくれればいいので、その代り物音を立てたり、大声で饒舌ったりしては不可んよ。そして三、四日目におれが合図をしたら飛出して思う存分に働いてくれ。つまり君等は伏兵なんだ。いいか?」 「わかりました」 恰度九時が打ったので、二人は明日の再会を約して別れた。 モッフが重い歩調で波止場の方へ帰ってゆくと、ガルールは遽だしく場末の汚い街へ姿を消した。 ラ・ベル・フィユ号が出帆してから四日目のことだ。渾名チューブッフことガルール、渾名フィヌイユことマロン、渾名クールドースことシャブルトンという名うての悪漢と、その手下の破戸漢七人、都合十人の荒くれ男が、密閉された、真暗な船艙の中で、穏かならぬ語気で何かぶつぶつ論争をやりだした。 彼等は船暈でへとへとになっている上に、充がわれた食糧は、まる四日間にすっかり食い尽してしまって、今は、石のように堅くなった麺麭の皮や、腐った果物の片ら一つでも鼠と争わねばならなかった。 今、マロンが、彼等を狩集めた張本人のガルールに喰ってかかった。 「おい、お前が腕を貸せっていうから、おれ達は加勢に来たんだ。こんな穴ん中へ燻ぶりに来たんじゃねえ」 「まったくだ。酷い目に遭わせやがったな。おれ達を元へ返してくれ」 とシャブルトンも捲し立てた。 「まア左様云わずに、モッフから合図のあるまで待ってくれ」 ガルールは一生懸命宥めにかかったが、饑渇で自暴自棄になった九人の男は、そんな言葉を耳にもかけず、気色ばんでじりじりと詰め寄った。 「おいチューブッフ、上へ昇って様子を見て来い。でなければ......」 と呶鳴ったのはシャブルトン、衣嚢の中でナイフを握っている気配だ。 ガルールは梯子に捉まると、黙って船艙の入口から上の方へ昇って行った。彼は仲間の威嚇に恐れたのではないが、そのとき甲板の方が妙に寂然となったわけを見とどけたいと思ったのであった。 船艙では、破戸漢どもが首をのばしてガルールの帰りを待っていたが、間もなく大濤がどっと船の横っ腹へ打衝かって船体がはげしく揺れだすと、帆檣がギイギイ鳴る。綱具が軋む。それに、暗の中を太々しく駆けずり廻る鼠の跫音。 暫くして、突然、何か巨大な物が海へ落ちこんだ物音に、彼等はぎょっとして跳びあがった。 「恐ろしく揺れるなア」 「堪ったもんじゃない」 さすがの悪漢等も、この激しい動揺が堪らなく不気味だった。彼等は海上のことは全く無経験な上に、饑でひょろひょろになっていて、しかも武器といってはナイフ一挺しか持たないので、こんなとき、訓練のとどいた三、四十人の船乗に立向われたら――と思うと慄然としないわけに行かなかった。 それから約半時間経って、ガルールが、船燈を手にして密と梯子を降りて来た。 「おい大変だぞ。此船は空船なんだ。人っ子一人居やしない」 「な、何だって? 人がいない?」 「うむ、ガラ空きだ。おれは船首も、船尾の方も、上から下まで探した。大きな声で呼んでみた。けれど誰もいやしない。舵にも、帆檣にも、甲板の何処にも、まるで人がいないんだ」 「〆たっ! この船はおれ達の所有だ!」 誰かが頓狂な声で叫ぶと、 「万歳万歳」 皆が一しきり興奮して、矢鱈に嬉しがったが、 「馬鹿」ガルールは苦笑いをして、「おれ達の所有になったって、この中に船を動かせる奴は一人もいやしねえ」 そう云われてみると、成るほどそれは容易ならぬ問題だ。彼等は急に心細くなって、暗がりで顔は見えないけれど、互いに手を探り合った。 彼等はこの船の中に、しかも大洋の只中に捨てられたのだ。そうした不可思議と寂寞が、犇と恐ろしくなって来たのである。 或る者は自棄くそになって、途方もなく大きな声で呶鳴りだした。或る者は恐怖と饑で狂人のように髪を掻きむしっているかと思うと、或る者はまるで子供のように泣き喚いた。その中で、 「皆、甲板へ出ようじゃないか。愚痴をいっている時じゃねえ」 と声を励ましたのはマロンだった。そして梯子へ手をかけると狂っていた者達もはっと我れにかえって、今度は先を争うて上へ昇って行った。 甲板は気味わるいほど寂然して、強風の下に船体は傾斜したまま、盛んに潮烟を浴びながら駛っていた。動揺は少し収まったけれど、それでも殆んど起っていられないくらいだった。墨を流した空の下に、怪物のような巨濤が起伏して、その大穴へ船が陥ちこんでゆくときは、今にも一呑みにされるかと思われた。 「そら来た......ほう......ほう......」 彼等はその度に声を揃えて叫んだ。 ところが、ふと、遠くの方で微かにその叫びに答えるような声がした。何だか錯覚としか思えないほど微かな声だったが、彼等はじっと耳を傾けた。けれど、もう何も聞えなかった。 ガルールは、それから夢中になって船床を探し廻った。そしてふと穴のような凹みへ首を突込むと、 「あっ、此処だ」 早速下へ跳び降りて、方々の箝板を叩き廻っているうちに、一つの戸口がすっと開くと、彼は喜びの叫びをあげながら、そこへ飛び込んだ。他の者達もつづいて入って行った。そこは奥行約二十メートル、高さ二メートルほどの可成り広い室だったが、その中央に、素足に木履を穿いて革服を着こんだモッフが黙然と突立っていた。その姿を見ると、悪漢共は、地獄で仏に逢ったような気持でほっとした。 運転士を見つけた。これで生命は大丈夫だと思うと、ガルールは急に強気になって、 「一体どうしたんですか?」 嚇すように呶鳴りつけると、モッフは黙って、傍に並んでいる腰掛を指した。そこには、天井からぶら垂ったカンテラに照されて、十人ほどの荒くれ男が正体もなく転がっていた。 「これが乗組員の残りだよ」 「えっ、そんならあの件を実行たんですか?」 「うむ、行ったよ」とモッフは首を振りながら、「今夜八時に突発したんだ。おれの方では九時に事を挙げる予定で、それぞれ部署をきめて、艙口も開け放して、いざといえば君等に飛出して貰う手筈までつけたんだが、敵が早くも感づいたらしく、おれが自分の持場へ行こうとすると、突然に三人の奴が飛かかって来たので、『やったぞ、出会え出会え』と呶鳴ったのが事の始まりで、そのときはもう、おれの仲間は不意打を喰って梯子から突落され、綱具の中に転がっていた。まごまごしているうちに、おれは棍棒で強か頸筋を殴された。瞬間、もう駄目だと観念ったね。何しろ突然なので、君等を呼ぶどころか、衣嚢から短銃を抜く隙もなかったんだ。なお驚いたことには、仲間の半分は敵方についていたのだ。それでも我々は捨て身になって、矢鱈滅法に奮闘した。到る処で殺し合い、絞め合った。そんな死物狂いの格闘が約十五分も続いたと思ったが、ふと気がついたときは、我々十二人の者が残ったっきり、敵は皆殺られてしまっていたのさ。そこで、敵は海の藻屑となったのに、おれ達は生残った。大勝利だ。ソレ祝杯だというんで、まるで狂人のようになって飲んだね。で、この通り、酔倒れてしまったんだ。しかしおれだけは、船を動かす責任もあるし、君等のことも考えて、控え目に飲ったというわけさ」 モッフは歯をむいてにっと笑いながら、拳骨で膝を叩いた。 ガルールは苦い顔をした。自分等の手を俟たずに、その大仕事が遂行されたということが面白くないのだ。 「約束が違いますね。そんなら、我々にはもう用がないって云うんですか?」 「馬鹿な!」モッフは釘止めにした卓子の上にごろりと臥ころんで、「お互いに愛相づかしをしたのじゃなし、それに、おれ達の大目的は、まだ半ばしか遂げられていないじゃないか。印度まではまだまだ暇がかかる。その間航海を続けるのに、どうしたって人手が足りないんだから、君等にも大いにやって貰わにゃならんよ」 モッフはやがて起き上ると、食料庫の方へ行って、戸棚から酒壜を両手に提げて来た。 「皆飲ってくれ。彼奴等がこんなに酒を残して行ったぜ」 ガルールの連中は大いに飲ける口ながら、モッフの言葉もあるので、ごく控え目に飲んだ。実際、海はなお荒れ狂っていて、まだまだ暢気に構える時ではなかった。 モッフはやがて真先に甲板へ駆け昇って、舵機についた。何しろ危険なので、ガルール等もそれぞれ出来るだけの働きをしなければならなかった。 夜が明けてから、酔いつぶれていた船員達が起きて来た。彼等は、ボロ服を着て青白い顔をしたガルール一味の者達を胡散そうにじろじろ睨まえていたが、 「仲間だ仲間だ」 モッフは、その一人に舵機を渡しながら、蔽かぶせるようにくりかえしたので、漸と納得したらしかった。 それから三日間ぶっ通しに海が荒れたので、船の仕事で目が廻るほど忙しかった。船体が恐ろしく揺れて、あらゆる荷物をひっくりかえした。で、ガルール等の仕事は、綱や鎖で一生懸命にその荷物を引からげることで、その合間には船員達の作業に手伝をさせられた。そうして彼等はいつの間にか、一廉の水夫らしくなって来た。 荒れが歇むと、海上は静かな凪になって、船は爽やかな風に満帆を張って、気持よく駛った。皆が思う存分に御馳走を食ったり、酒を飲んだりした。中には、優しくも五弦琴を掻き鳴らす者もあり、各自にいろいろな娯楽に興じたり、ハンモックの中で悠閑な眠りを貪ることも出来た。 そのとき船は阿弗利加沖を駛っていたが、ガルールは仏領南亜米利加はギヤーヌの徒刑場へ流された苦い経験を思いだし、マロンは阿弗利加屯田兵の営舎から脱走して営倉に叩きこまれたときの記憶を喚びおこして、心ひそかにこの海上の自由を讃美しているのであった。 ところが、日数が経つに従って、一つの已みがたい熱望が彼等を囚えた。それは陸地に対する憧憬であった。彼等は出帆以来、只一度、それも遠くからちらと陸地を見たきりなので、今はこの単調な、四顧茫々たる海上に倦み果てたのであった。ところが、 「ソラ陸だ! とうとう来たぞ!」 それは七週間目に、微かに陸地が見えだしたときの、モッフが思わず叫んだ勝利の声であった。 「もう印度ですか?」 マロンが問いかけると、 「馬鹿な」モッフはにやにや笑いながら、「どうして印度だなんていうんだい」 「私にゃ解りませんが......印度ならもっと遠いように思いますがね」 「下らんことを云わないで、自分の仕事をやれ。余計なことを考えては可かん」 「何時港へ入れるんですか」 「皆が精を出せば二日以内さ。怠ければ四日だ」 その日は夕方まで風を間切って進んだ。陸も、間近に見えだした。やがて運転士を乗せて先行したボートが帰っての報告によると、検疫や税関の手続上、日中に上陸しろということなので、その翌日の昼になって入港した。 「おい、大したもんじゃないか」とガルールはひどく悦に入った。「おれ達が上陸するってんで、此港じゃ大統領をお出迎えするような騒ぎをやってやがる。あの立派な服装をした奴等アまるで狂っているぜ。これに楽隊がつけば申し分なしさ」 「そら、お迎えが来た」 はしゃいでいるうちに、一隻の汽艇が横付けになって、一人の港役人が船へ上って来た。 「やア御苦労様」 モッフは、何事も起らなかったような、落ちついた風で挨拶をすると、 「いや船長、この同盟罷業じゃ、まだ四週間はお帰りがあるまいと思っていました」 するとモッフは、舷側に凭れているガルールの連中を指しながら、役人の方へ目配をして、 「ええ、ひどい同盟罷業でね。実は、この船なんかも、マルセイユではたった十人しか残らないという騒ぎだったが、僕のような海上の古狸になると、そんなことは平気なもので、早速独特の術で新規の乗組員を募集しました。非常の時は非常手段でなくっちゃね。その代り素晴らしい代物を連れて来ましたぜ。昨日運転士からお知らせしたように、彼等の中には徒刑場から脱走した罪人がいます。それは警察への御土産で、彼奴等を捕縛て下されば、僕も大助りです。用意はいいでしょうな?」 「ええ、此方もそのつもりで、汽艇に平服憲兵が待ちかまえています」 そんなこととは知らずに、傍へやって来たガルールの肩を、モッフは軽く押えて、 「御推薦したいのはこの男ですよ。まア此男が一等値打がありましょうな」と役人の方へいった。 「では、私等は上陸していいんですね?」 顔を綺麗に剃って新しい服に着替えたマロンが訊ねると、 「いいともいいとも」とモッフは上機嫌だ。 そこで、彼等は一人一人静かに舷梯を陸りて行ったが、最後の一人が汽艇に納まったのを合図に、憲兵達はソレッとばかり一斉に跳びかかって、彼等に手梏をはめてしまった。 「畜生、欺しやがったな!」 ガルールは吼り立って、猛然身構えようとしたが、ぐいと手梏を絞めつけられる痛みに、アッといって腰掛へへたばってしまった。 「漕せ!」 役人の一声に、汽艇はそのまま波を蹴立てて港の方へ駛りだした。 と、船長モッフは、自分の水夫達を顧みて、いやに厳格な口調でこんなことをいった。 「彼奴等が印度へ上陸したがっていたのに、このマダガスカールで捕縛させたのは少し拙かったが、といって、あの悪漢共を船へ置くわけにも行かんじゃないか......荷が港へ着いてしまった上はね!」
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NDC 953
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新字新仮名
夏蚕時
金田千鶴
一 午過ぎてから梅雨雲が切れて薄い陽が照りはじめた。雨上りの泥濘道を学校帰りの子供達が群れて来た。森田部落の子供達だ。 山の角を一つ廻ると、ゴトゴト鳴いてゐた蛙の声がばったり熄んだ。一人の子がいきなり裾をからげて田の中へ入った。そしてヂャブヂャブさせ乍ら蛙を追ひ廻した。 「厭アだな! 秀さはまた着物汚してお父まに怒られるで......。」 後から来た女の子達のひとりが叫んだ。 「要らんこと吐くな!」 秀は捉へて来た蛙を掴んで挑んで行ったが、不図思ひ出したやうに、 「久衛、今日はこいつで蜂の巣探さんか」と云った。 「うん、へいご蜂をな!」 「俺らほの兄いまがこないだ一巣発見たぞ!」 男の子達は口々に叫んだ。秀は蛙の足を握って忽ちクルリッと皮を剥いた。そして棒の先へ串刺に刺した。蛙の肉へ真綿をつけて、その肉をくわへた蜂の行衛を何処迄も追ひ掛けて行く――そして巣を突きとめる、それは楽しい遊びの一つである。 何思ったのか不意に秀は頓狂な声を出した。 「ヤイ、蜂の子飯ァ旨いぞ!」と叫んだ。 「美知ちゃん!」女の子の一人が云った。 「わし、昨日晩方通った時御夕飯食べとっつらな!」 「何んで?」 「何んでもな! お夕飯をあんね明るい時分に食べるんだなあ!」 美知子は去年赴任して来た村医の娘である。 水溜りにくると子供達はバシャバシャ泥を飛ばして歩いた。 「美知ちゃん! 長靴は歩きいいら?」 一人が聞いた。美知子は頷いて見せた。 「真佐子ちゃんも長靴ある?」 「ウム、だけどもっと小さいの......」 美知子は云った。するともう一人が云った。 「わしァ今度お母まが製糸から帰る時買って来て呉れるったの!」 「お母まいつ来る?」 「今度の公休日!」 「芳江さはいつかもさう云っとったぢゃないかな? 一寸も買って来りゃせん......。」 堀割を大きく廻ると、左の谷間から運送が一台車輪一杯の狭い道をガタンゴトンと躍り乍ら下って来た。 「やあ、庄作さが来た!」子供達は馳け出した。 「庄作さ、乗しとくんな?」 庄作は無愛想に頷いた。男の子も女の子も皆乗った。此処から森田部落迄二丁余り道は山の裾を曲がりくねってゐる。 「おォ!」向うから馬を曳いて来た若者はさう声を掛けたが其の儘又引き返して枝道へ避けた。「おかたじけよ!」庄作は通り過ぎようとして挨拶をした。 橋のところで子供達は降りた。 役場・郵便局・駐在所・医院・雑貨店・宿屋其他の家が一個所に集まって十四五軒町の形を作ってゐる。森田部落の中心地で最も賑やかな部落である。 庄作は取りつきの精米所の前で馬をとめ、内部を覗き込んだ。誰も居ないらしく**しん**としてゐて、土間隅の精米機が埃にまみれて、ベルトがたるみ切ってゐる。春過ぎてから精米所も殆ど閑散である。 「ぢゃァ帰りだ!」庄作はさう独り言を云って又曳き出した。旅館兼料理屋の吉野屋の前で庄作は車を停めた。 「庄作さ、今度久し振りだったなむ!」 女房のおとしが出て来て云った。 「うむ、雨が降っとったもんで!」 庄作は土間へ荷を下した。 「岡野屋から荷は出とらなんだかな?」 「どうだか知らんぜ。俺ら今日は肥料ばっかりだ!」 「庄作さ! 中屋の後家が待っとったぞ!」 誰か炉端の方でさう怒鳴った。 庄作はむっつりした顔の儘で馬を飼ってゐた。 「どうだい、景気は?」 炉端の方へ入って行くと、留吉が上り端に腰掛けて茶を飲んでゐたがいきなり聞いた。 「呆れた話さ! 俺ァ馬に喰はせるに追はれとる......」 庄作はさう云ひ乍ら土足の儘で炉端へ上り込んだ。それからおとしの酌んで来たコップの酒をチビリチビリ飲み乍ら世間話が続けられた。 「何しろお前、森田の山の材木が出た時分にゃァ日三台は曳っぱって来たんだでなあ! 山は坊主になる。薪一本出て行く荷は有りゃせん......。あれからこっち面白いこたぁさっぱりなくなった。是で又道が開けりゃ自動車だ。俺らの商売はもう上ったりだ......」 庄作は歎息する様に云った。 「そいでもお前は金を溜め込んどる話だで困らんが俺らは全く困るよ! 俺ァ繭が十両しとっても困っとったんだで、二両の端が欠けると来ちゃ法はつかんよ! 俺らは早く道路工事が始まりゃいいと思っとる。何んとか稼ぎが無けにゃ口が干上っちまふ......」 留吉はさう云ひ乍ら立ち上った。 「俺ァ今日は当家の畑打ちだ!」 聞かせるともなく独りごちし乍ら、留吉は裏口の方へ出て行った。 酒が廻ると庄作は次第に上機嫌になって行った。隣村から三里の往復が酒手に代へられた。 「庄作さはあれで下駄穿きゃがるで油断ならんぞ!」 庄作の駄賃に懸値のあることは誰も知ってゐたが、十銭二十銭の買物でも気前よく引き受けるので部落の者には重宝がられてゐた。 二 昨日から夏挽きが始まって、部落の娘達は殆ど他村の製糸工場へ出掛けて行った。俄に村の中がガランとしたやうだ。 「春蚕上り」をめがけて毎日様々な借金取りが軒別に廻って歩いた。町の農工銀行の行員は香水をプンプンと匂はせ乍ら片端から退引ならぬ談判をして行った。村税の滞納で役場の人達が手分けで廻りあっちこっちに差押へが始まった。生産過剰で横浜の倉庫に二十萬梱のアメリカ行絹糸が欠伸をしてゐようと、飼へば飼ふ程益々自縄自縛の結果に落入らうとそれは別の問題である。繭の値が安いと云って今ここで蚕を止める訳には行かない。 「安けりゃ猶、沢山取らにゃ遣り切れん!」どこの家でもそれを云った。そして夏蚕の掃立をうんと増やすことにした。 一号を盆迄に上簇の予定である。桑の有る家では二号も始めるつもりだった。さうなると盆には忙しい真最中だ。人間の体の壊れる事などは構ってゐられぬ場合だった。 夕方から留吉の家へ無尽の集りに人々が寄ったが又今度も立たぬ事に話し合ひがついて散った。もう後二回で満会になる掛金五十円の小口の講なのだがどうしても立たず秋迄延ばす事になった。これでこの部落の無尽は全部秋まで延期となって了った。 二三人の居残りの者がその儘囲炉裡端に集った。いやに冷え冷えする晩だった。 「まづ毎日肴買はんか何にを買はんかって色々な奴が来やがるよ! 昨日来た菓子屋なんか四里から背負って来るんだでなあ!」 「うん、どこも不景気だでぢっとしてをれんのだな。負けとく負けとくっていふで、負けてお呉れでもいいが、ここぢゃァ何んにも買はんきめがあるでって、荷を下さん先におことわりだ!」 「いよいよなんにも買へん時節が来ちまったな。そいだがたまにゃァ鰯の一本も食ひたくなるしなあ......」 炉端の四隅を陣取って胡座をかき乍ら話が始まってゐる。酒が出てから話が弾んで行った。勝太はふと気がついたやうに、 「小父様! 今日はなんだな」と新蔵に聞いた。 「俺ァ今日は松下の屋敷引きだ!」 「なんだ、何か建てるのか?」 「なあに、裏へ石垣取るってんで、あの厩を一寸ずらせるだけだ」 留吉は飲み乾した盃を下に置いたが、 「だが松下もめきめきと身上拵えたなあ!」 さう歎息するやうな口調で云った。 「田地は買込む、普請はする、お蚕は当てる、金は貸せる程有るんだで! 云はっとこねえさ......」 「日の出っちふもんさ! あそこらが――」 「仕事がどんどん廻るでなあ......。ああなりゃおんなじ仕事でも楽で面白く廻る!」 新蔵が云った。 「さうだ。入る者と出る者ぢゃ大した相違さ! ちィっと利子でも負けて貰はっと思やあ、酒でも買って罐詰の一つもつけて持って行かんならんちふ訳だでな!」 留吉は苦笑し乍らさう云った。 そこでいつもの事だが工面の良い家の噂が始まった。 「まあ松下、それから吉本屋!」新蔵は順に数へるやうにした。「そこらのもんかな!」 「長沼あたりも借金もでかいらがもとから有る家だで、食ふ米にゃ困らんて!」 さうつけ加へて云った。 森田家を別にすれば、もとこの部落で僅か乍らも先祖伝来の田畑を耕して食ひ凌いで来た者はほんの三四軒の家だけだった。 松下でも森田家が潰れた時、洞上田地を安く手に入れたのが運が好かったと話が出た。 吉本屋も小金を要領よく利殖してめっきり大きくなってきた。金も一旦溜り出すと苦もなく働けてまた溜る。 「あそこでも今ぢゃ家内ぢうで米はとても食ひおほせんらよ?」 勝太は口を挟んだが、 「あそこなんにも無しっちふやァふんと茶碗一つも無しとからはじめた身上だで!」 さう感慨深さうに云った。此処でなんにもなしの境涯から田地の一枚も手に入れようと発心すればどれ程の働きをせねばならぬか――親に背いて夫婦になって飛び出してから、吉本屋も人の三倍四倍は事実働き抜いて来たのだ。――田の畦にどの子も寝かされて育って来たのだ。 「月給の入る衆は不景気知らずだ!。吉本屋も息子が取るで楽になる一方さ!」新蔵は一寸言葉を切ったが「だが人間もちィっと身上が出来ると強くなるで怖っかねえ......」 さう含んだもののある調子で云った。 「うん、あそこら今ぢゃ巾利だでな!」 留古は大きく頷づいて見せた。 「中屋の後家も一時から見ると大分調子がいいやうぢゃねえか?」 中屋も息子がトタン屋になってから大分廻しがつくやうになった。昨年あたりから村内でも稚蚕飼育に手間のかからぬトタン箱飼育が流行ってゐたからトタン屋商売は大当りだ。 「佐賀屋も楽になったと云ふもんだ!」ふいに新蔵は云った。 「楽どこか、俺ァまりは......」勝太は頭を振った。 「賄を拡げちまってどうにも借金だらけだ!」 「今日日借金のねえやうな者は無いが、お前のとこは息子も娘も実直でよう精出すでなあ!」 新蔵は羨ましがる口ぶりで又云った。 酒を飲まぬ宇平は先刻から黙り込んでゐたがむっつりと重い口で、 「俺ァまりぢゃ米はいくらも取らん、飼ふ口は大勢だ、小作料は米で納めんならん、それでお蚕はしじふ腐らすと来とる! 法はねえ!」 投げ出すやうに云った。 宇平の所は近年災難続きで娘が製糸工場から病んで来て肺病で死ぬ、女房は中風で動けなくなる。何かの祟りだかも知れぬと弘法様に拝んで見て貰ったら屋敷が悪いと云ふので移転をしてその時奉公に行ってゐる二番息子が右腕の骨を折るといふ工合で、それに孫が大勢なので、息子夫婦と三人で気違ひのやうになって働いてゐるのだが、暮しは苦しくなる一方だった。 考へて見ると身上を拵へる、拵へないと云ふ事もはじめは一寸したはづみから出発するやうなものだ。ここで遊んでゐて食へる者はない。それは丁度絶えず廻転してゐなければならない車輪である。年柄年中間断なしに仕事を追ひ掛け片付けてそれでやっとどうやら廻って行く事が出来る。今日これきりできりになったといふ事はない。――松下や吉本屋ではうまくはづみがついて休みなく廻りはじめたと云ふものだ。―― それが一寸躓づけば(そんなはづみは**ふんだん**にある)もう直ぐ抜き差ならぬ泥沼へ落ち込む仕掛に出来てゐる。一人病人が出来一度蚕に失敗すればもう直ぐ借金になる。余分な稼ぎに出て居ればそれ丈廻転が渋滞する。 さうなると因果関係で、人の三倍四倍働いても泥沼から足を抜く所か一歩一歩と深みに引きずり込まれて行く――他人とのひらきがだんだん大きくなって行く――そしてもう一度上手に廻り直すと云ふ事は昨日を今日に直す事よりも不可能になって来る。かうなると借金は雪達磨の様に転がして大きくして行くばかりである。途方に暮れて惘然して居れば尚増える借金だ。 「そいだがかうなりゃ借りた者の方が強いぜ!」 「何んちゅったって返せんものは返せんと度胸を据ゑ込んで了ふでなあ......ハハハハ......」 留吉は酔の廻った眼を据ゑる様にして云った。 「本当だなあハハハハ......」 皆相槌を打って笑ったが勝太は一寸硬ばった顔をした。(俺らとは働き様が違ふぢゃないか!)と云ふ腹があるのだった。 「これでお蚕に追はれとるうちゃァ何んと云ってもいいが......」宇平は心細さうにぼそりと云った。 その不安は誰の胸にもあった。 冬の稼ぎは主として炭焼である。炭を焼くと云っても山を持たぬから立木を一山いくらで買って始めねばならぬ、それに近頃は規則が喧しくなって、俵にする萱からして買ひ入れねばならぬ。一日二俵焼と見て、それで上炭五貫匁俵この春の相場で四十銭である。 女や子供は炭俵の駄賃負ひをする。峠を越えて隣村迄持って行き、帰途には米を買って背負ってくるのが普通である。 女でも合田のおときなぞは力持ちだから、体の弱い亭主に二俵背負はせ、自分は三俵背負ってさっさと登る。そして峠へ先に登り詰め荷を下しもう一度引き返して来て亭主の荷を頂上迄背負ひ上げるといふ遣り方である。それで駄賃が一俵十五銭と云ふところ。 繭相場次第で秋にはどこ迄落ちるか見当がつかぬと聞いては最早手段がなくなって了ふ。 「佐賀屋の小父さま居る?」 「居る!」勝太は自分で答へたが戸間口の方を透かし乍ら、 「義公か、なんだ?」と云ったが「お前まあ一寸借りてあがれよ!」と坐ったままである。 「義一っさ、おあがりな!」暗い井戸端で洗濯してゐた、留吉の女房が入りしなに挨拶した。 「義一っさは酒を飲まんでお茶でも入れるに!」 「お前、酒は駄目か? お父まの子ぢゃねえな」 「今とてもいい相談がはじまっとるとこよ......」 アハハハハ......と笑声が湧いた。 「直樹さ帰って来たっちふなむ、なんに来たんずら?」義一は新蔵の横へ坐り乍ら聞いた。 「うん、もう十日ばか来とる。あいつも何をしとるんだか......名古屋の方だってどうせいいこたあねえらよ。今時ぶらぶらしとるやうぢァ!」 「俺らも此処に居ったってつまらんでどっかへ行かっと思っとる!」 義一はさう云ひ出した。 「俺ァどうせ学問の方は駄目だで......、老爺と二人で食へさへすりゃいいんだで!」 「お前食ってそこが出て行けさへすりゃ結構よ!」 勝太は沁んみりした調子で云った。 「ふんとだなあ!」宇平はさう合槌を打った。又生活のことに話が落ちて行く。―― 勝太は義一の年頃の事を思って見た。 「俺ァの時分には、朝飯前に六把の朝草はきっと刈ったんだでなあ――。それで夜業にゃ草鞋なら二足、草履なら三足とちゃんと決っとったもんだ!」 「......うん、そりゃあ昔の事思ふと今の者はお大名暮しだ。昔の事云ふと若者は機嫌が悪いで俺ァ黙っとるが......」 宇平は呟くやうに云った。 「だが今日日ぢゃ草鞋作って穿く代りに靴足袋買って穿かんならんやうに世の中が出来とるでなあ! なんでもその通りだ!」 冬の稼ぎの石灰俵編みで、女手で夜業迄編んでやっと十四五枚のもの、それが二十五枚で一梱だが壱円札を握るには六梱編まねばならぬのだ。その血の出る思ひの壱円札をひょっと盗まれて了った時は悲し過ぎてぼんやりしたと、お袋が折々話した事を勝太は思ひ出してゐた。もう一度さういふ乏しい時世が返って来たのだ。―― 「俺らもどうかへえ、馬鹿働きが出来んやうになったよ。不精になっちまって......骨仕事がどうも厭ァになった!」 勝太はそれをしんから感じて沁々云った。 「そいでも色気はあるだで?」新蔵が笑った。 「色気やなにやァあらずかよ! 耄碌しちまって、そんなものは爪の垢ほども有りゃせん!」 ハハハハハ......と、勝太は笑ったが皺の深い手でツルリと撫ぜた。 新蔵は義一の肩をつついた。 「それよかお前、早くお嬶っさま貰へよ!」 「貰へたって、俺ァまり来て呉れ手がねえよ!」 「さう云ふなよ、隣家に丁度いいのが有るぢゃねえか。君子さを貰へよ?」 「君子さがどうして来て呉れず! 俺とは身分がちがふもん!」 「なんで?」相手が案外真面目に出たので新蔵も真顔になったが、 「藤屋あたりが威張るとこぁ薩張りねえぢゃないか、元が有ったってなんにも無しになりゃ俺らと同等ぢゃねえか!」 熱心になって云った。 「なあ! 森田様だ大屋様だって威張りくさったって潰れりゃ、小屋になっちまったぢゃねえか!」 「ふんとに森田も小屋になっちまったな!」 勝太は頷いた。 「岡島もあんなざまになるし大沢もつぶれたし大屋衆はみんな引張り合っとるで、ひとり倒れりゃ総倒れだ!」 「お志津まもふんとに気の毒なことになったなむ!」女房のまつゑがさう初めて口を出した。 「春時分、喜八郎さがえらい大病したってなむ!。肋膜かどっかで死にさうだったって!」 「うむ、弱り目に祟り目さ。だが森田も変りや変ったもんだな!」 勝太は何か動かされたやうな云ひ方をした。 「死んだお袋がよう云ったもんだ、稲扱休みに南瓜の飯を煮とったら、森田のお安様が年貢取りに来て、火端へ上ってお出で、南瓜煮えたけ! さう云って一つ突つき乍ら、おめえ米なんちふものはな、有りゃ有って、始終水車小屋へ通はんならん......。搗け過ぎりゃせんか、盗られりゃせんかって苦労の絶えたことはない、みんなおんなしこんだわな......ってさうお云ひて......俺らだまって聞いて居ったが悲しかったでいまにわすれんよってなあ!」 勝太はさう話してゐる中に現に自分が云はれたやうな口惜しさの湧くのを覚えた。 森田の元の邸には台所が二つ在って耕地の者は下の台所迄しか行けなかった。勝太のお袋達の時代には、正月と盆には耕地中の者が家族全部引連れて土下座の形でお招ばれに行った。それは単なる小作人と地主の関係ではなく、農奴として厳格な主従の関係を結ばれてゐたので、耕地の者は大屋へ絶えず出入して召使ひの役目を果たしてゐたのであった。それはこの森田部落許りでなく、他の部落も同様で部落部落に一軒づつ大屋が在って、耕地の者は山林田畑と等しく大屋の所有財産で有り、人間の売買さへも行はれてゐたのである。 自分等の祖先達の事を思ふ度、勝太は激しい屈辱を感じないではゐられなかった。 その思ひにこそ身を粉にして働き続けて来たのではなかったか......。 留吉はふとにやにやして 「あれで森田のお志津さも独りで遣って行けるらか?」と云った。その意味がみんなに解った。 「そりゃ遣って行くとも! 亭主やなになくたって......。女はそこへ行くと子供さへありゃ強いものだに!」 まっゑがハキハキした口調で云った。 「どうだか! 女寡婦に花が咲くって昔から云っとるでハハハハ......」 新蔵は笑って云った。 「こないだ、おふじさが馬鹿に洒落た風をして帰って来たぞ。馬鹿に若々した顔しとった......」 「おふじさは製糸で取るで工面がいいな!」 「製糸でいくら取れず! 口稼ぎがやっとこだ。又いい金主がついたんずら!」 留吉は女房の顔を見乍ら云った。 「だが由公は脆く死にゃがったな......。森田の利国さの好い相手だったが......。ありゃ酒がもとだな......。利国さあたりもさうだが!」 「うん、そいだがあの家もこの景気で四人から五人食はせて行かんならんのだで、後家の腕ぢゃえらいことはえらいなあ!」 同じやうな話がいつまでもくどくどと続けられて夜が更けて行った。 三 気がついて見るとこの部落にはやもめ暮しの者が多かった。去年の秋夫に死なれた森田の志津、春死なれた窪のおふじ、志津の南隣りの源吉も子供の秀ともう久しく独り暮しである。源吉の女房はお咲と云って、もと吉野屋に、茶屋女をしてゐる時一緒になったので眉の細い一寸美い女だった。源吉に稼がしてのらくらしてゐる事が多かった。 それが旅渡りの仕立屋の職人といい仲になって真昼間ふざけ散らしてゐた。源吉が漸っと気付いて一悶着起きた。源吉が目の色変へて男の宿の平吉の家へ飛び込んだ時はさすがに二人共震へ上った。 「源公も意久地が無いぢゃないか。二人居るとこへ飛び込んでよ、金毘羅の野郎怖じけりゃがって、五尺下って話せって頼んだら源公は五尺ちゃんと引き下ったちふぞ......思ひ切り打ちのめして遣りゃあよかったものを!」 平吉から聞いた新蔵はさう云って憤慨した。 讃岐の生れだと云ふその職人の事をみんなは金毘羅の符号で呼んだ。金毘羅はぢきに村を出て行ったが、間もなくお咲も乳呑児を捨てて置いて逃げ出して了った。金毘羅と一緒になるのだらうと誰も思ったがさうではなくて、又どこかで茶屋女になった噂だった。「あんな山の中の貧乏暮しはもう懲り懲りした」と、迎へに行った源吉の叔父にお咲は平気で云ったさうだ。 あんな性根の腐った女は思ひ切って、誰か貰へと誰も勧めて見たが、源吉は深い未練があるらしく帰ってくる日を待ってゐるやうだった。 「誰の子だかも知れもせんに、よく源さは世話をする......」いつも小薩張と洗った着物を着せられてゐる秀を見ると女房達はよくさう云った。 「似たとこがあるで子ずらよ!」 「ちょっとも似たとこが無いぢゃないかな! あの子は! お咲さ酷似の顔しとる!」 そんな話もたまには出た。父親の穿鑿と云ふものは割合寛大に置かれてゐるものだ。詳細に穿鑿して行くと思はぬ処に当り障りの出来る事が有った。蔭口と云ふものは云ったり云はれたりするものである。 源吉のその又隣も独り者の甚太爺の家である。隣と云っても山と谷とで五丁も隔ってゐる。甚太爺は枯木一束くくるにも一糸乱れずといふ風にくくらねば気が済まぬ質で、それを整然と炭焼小屋同然の家のまわりに積みあげて置くのが自慢だった。 もっとも近頃枯枝一本拾ふ山もなくなって、吉野屋や医者の家へ持って行って売るものを作るのに苦労してゐるやうだが甚太爺は若い時から一度も女房は持たなかった。何か話しかけると手を振って笑ってゐる。ひどい聾だから聾甚太で通って来た。 小作もせず年中日傭取りだから賃取り甚太といふ名もついてゐる。この前の選挙の時には、甚太も五十銭貰って一票入れに行って来た。 「お爺め、片手出して見せるから、五両貰ったかと思って俺ァびっくりした......」 選挙でいい稼ぎをした連中はさう云って笑った。 部落の南端れの増乃後家は此頃景気が好ささうな噂だった。十五年から連添った亭主に愛想を尽して別れてからずっと独りでゐた。とや角噂を立てられる年増だったが三年程前、三河者の徳次を後釜に家へ入れた。男の方が二十の余も年下だったから娘の婿に丁度好い位で、みんな蔭では魂げて了った。徳次は天保銭の方だったが馬鹿力が有って人の三人前は働いたから「うまくくはへ込んだ!」と云ふ事だった。 去年の秋のお祭の時に酒を出して耕地の衆に「お頼み申します」と挨拶を入れたので、それで正式のものとなった。 徳次が入ってから、蚕も大取りを始めるしこの冬、物置も建てたりした。 娘の貞子は体が弱いと云って製糸へも行かずぶらぶらしてゐた。器量がいいので注目の的だった。 「そいでが貞子さも仕事をさせて見ると厭ァになるぞ! 飾り物にして置くにゃァいいかも知らんが!」 青年達はそんな事を云って笑ふ時が有った。 貞子はこの頃看護婦になるとか云って町の方へ行ってゐた。帰って来る度に垢抜けて美しくなって来た。 日吉のお絹姉妹は一番運が悪かった。二人共もう死んで了った。妹のおたつは若い頃に家を出て旅を流れて歩いてゐたが、男の子一人連れて帰って来るなりどっと肺病が重くなって死んで行った。お絹も若い時は評判女の浮名を流したが、一度亭主を持ってぢき別れて了ってから森田の大旦那の妾のやうな暮しをしてゐた。年増になってもどこか仇っぽいところが有って、森田の若主人とも関係のあるやうな噂も有った。山の奥の一軒家におたつの遺児の清司と二人住んでゐた。そのお絹が一昨年の秋ふっと気が変になって了った。一日中部屋の壁に向って佇んでゐる。坐らせてもぢきに立って壁に向ってゐる。物をさっぱり云はなくなった。終ひには両脚がむくみ上って了った。御飯を無理にすすめると「そんねに食はでもいい......」と遠慮ばかりしてゐる。そんな風になる少し前から越後者の伊佐といふ若い男が入り込んでゐたが、正直者でおとなしい性質だったから、お絹の世話は親切に面倒見てゐた。 お絹は或る晩首を吊って死んだ。伊佐達が一寸うっかりしてゐる間にふらふらと家を脱け家の横の柿の木で縊れた。おそろしく柿の実った年だったが――。古い家とその屋敷地と畑一枚とそして大きな柿の木二本が遺された。それは当然お絹が我が子として育て上げた清司が相続するものとお絹自身もきめてゐたのだが、お絹が死んで見ると、伊佐の所有に帰した。これには清司も当の伊佐も驚いた。清司はおたつの私生児でその手続きがしてなかったからだった。清司は間もなく十九年住み慣れた土地を追はれるやうにして村を出て行った。 さう挙げて行けばきりがない。 中屋のおちよ後家の名も久しいものだ。土方の平吾の処も早く女房に死なれてゐる。娘のやす子は製糸工場から孕んで来て女の子を産んで、その儘どこへも嫁入らずに父と子と孫の三人ぐらしだ。手に余る蚕を飼ったり稼ぎに出たりして、堅く切り詰めて暮してゐる。手っ取り早い事を云えばこの部落の中で無事で普通の暮しを立ててゐる者が幾軒在ると云へるだらうか。窪のおふじも今年になってから僅か許りの前畑と田を手放さねばならぬ破目に落ちた。其処へ吉本屋の次男が別家して一寸動かせば谷へ落ち込むやうな狭い地面へ割り込んだ。「わしァどんなにしてでも追ひ出されるまぢゃ此処を出て行く気はない......」おふじは辛い顔をした。そして製糸工場の公休日には飛んで帰って子供の世話をして行った。 永い間にはこの部落の中にも様々な変遷が有った。持ち切れなくて出て行く者も多かったが増えることも増えたものだ。勝太や新蔵の子供の頃には僅か十四軒だった森田部落も今では四十軒の余になってゐる。 さうして猫の額程の土地が遣り取りされ分割された。 四 真夏の強烈な太陽がヂリヂリと油照りに照りつけ蝉の声が暑苦しかった。志津は今日畑へ草削りに出て見て今更桑の貧弱さに喫驚した。もう幾年も肥料を入れず、それで摘む方丈は本葉も残りなく責めて了ふので、株が弱り切ってまるで火箸のやうな細い枝が申訳許りに伸びてゐる。栄養不良の葉はすっかり縮んで汚点ができ、下枝の方の葉はもう黄色に枯れかかってさはると散りさうだった。 見渡したところ芽も大分止ってゐるやうだった。売るつもりの春蚕が桑がちっとも売れず、通し桑になったのでどうしても今度は蚕を飼はねばならなかった。それで手に余るとは思ったが枠製三枚飼ふことにして、吉本屋へ催青を頼んであった。 志津はこれで掃立が出来るだらうかと思ふと心細くて堪らなくなった。 畝間に作った馬鈴薯が情なくヒョロヒョロ伸び立ってゐる。痩せた土には禄な雑草も生えないで、意地の悪い地縛り草が万遍なくはびこって、黄色い花が日中に凋んでゐる。 鍬が古くて錆び切ってゐるので、余計削りにくかった。 先祖がこの土地の草分だったから背後に山を負った南向の丘の上でどこからでも目立つ屋敷地だから痩せた畑は一層身窄らしいものだった。大体屋敷の跡をその儘畑に直したのでザクザクとした砂地で何を作っても育ちが悪かった。ここには元の屋敷を偲ばせる何物も残ってゐなかった。只一つ今草を削ってゐる直ぐ傍らに下水溜がその儘に残ってゐた。土で大方埋まって底に用水が錆色をして溜ってゐる。周囲の木が朽ちて其処だけ莠と蓼が茂ってゐる。 志津はそのどぶ溜を見るときっと昔の事が思ひ出された。そして自分の佇んでゐる所が元の邸のどの辺に当るかといふ事を判然知る事が出来るのだった。そこが流し元だった。一段上ると上台所だった。東方に細い**れんじ**窓がある丈でどこからも光線の入らぬ暗い台所だった。明るい台所は金が溜らぬと云はれてゐて隅の方は手探りにする程だった。 その囲炉裡端の上座にいつもどっしりと坐ってゐた祖母、一生を下女の様に流し元に働き通してゐた母、広い屋敷の内を綺麗に片付けて置くことに気を配ってゐた父、それぞれの顔が浮んで来るやうだった。 破風造りの大きな家の、十坪の余もある土間の隅には石臼が置いて在って何彼と云へば餅が搗かれた。「色の白いは七難隠すってねえ」さう云って祖母のお安は志津達姉妹の色白で美しいのを自慢した。 人に逢ふのが嫌ひな質で、いつも籠ってゐた。暗い中の間から奥の座敷へ通ふ廊下の長かった事も思ひ出すことが出来た。 巌めしい門の外の塀の所を物見のやうにしてゐて、祖母は始終のやうに其処迄出張って来て部落の家々を眺め渡してゐた。 朝日夕日が土蔵の白壁を眩ゆく照り返した。 池には山水が溢れ大きな緋鯉が跳ねてゐた。 何も彼も有余る豊さで、恵まれて敬はれて人形のやうに大事に育てられてゐた。―― それはもう遠い遠い昔の夢の様な記憶の断片だった。何も彼も煙のやうに消えてなくなって了って、今目の前には荒れ果てた桑の畑が在るばかりだと云ふ確な事実をどうすることも出来ないのだった。 けれども志津は今その事を考へてはゐなかった。志津には何も考へられなかった。 どうしたらこの苦しい現在をくぐり抜けて行かれるかといふこと以外には―― その思ひでいつも頭が占領されてゐた。 志津は四五日前、この冬死んだ妹の嫁ぎ先へ漸くの思ひで米を借りに行って来た時の事を思ふと思はず冷汗が流れる様な気がした。それは二里程離れた笠見部落の矢張り同族の大屋だった。 妹の姑にあたる人が、玄米を一斗袋に入れ「お貸し申すのも何んだで、今度はまあ是だけお持ちておいでて......」 さう憫れむやうな調子で云って渡して呉れたのだった。妹が生きて居たとしても行きにくい家だった。向うにも妹の子供が二人遺されてゐたので、志津の子供を皆連れて後妻に来て欲しいと云ふ話しが一度起り掛けたが、それはとても不可能な事として断わって了ひその儘になってゐたのだった。 志津は草削の手を休めて眼に沁む汗を拭いた。 三代養子が続けば長者になると云ふ諺があるが森田家では四代も養子続きだった。 祖母のお安は勝気者だったが子供が無かったので隣村の大屋から姪を連れて来た。それが志津の母親である。おたけ様と呼ばれてゐたが、「たけぢゃない、たァけだ」と蔭では云ふ者があった。血縁が絶えると云ふ訳なので、お安も目をつぶってゐた。父の紋治は岡島部落の岡島家から来た。岡島家は古い伝統を持ってゐる由緒有る大屋で、紋治は酒を飲むときっとそれが出た。 「俺の生れた家は勿体なくも御観音様が建てて下された家だぞよ」と云ふのである。 絶えず妻を罵って二言目には「おん馬鹿さん!」と怒鳴った。 「そいでもおんの字とさんの字がつくだけいい!」 蔭ではさう云って笑った。耕地の者が「お早うございます」と挨拶すると、「ウム!」と鼻の先であしらふのが紋治の癖だった。正月には耕地の者は折畳んだ一固めののし餅を持って御年始に行く習慣だった。返礼には固い串柿半重がきまりだった。 志津の処へ天龍川向うの旧家から利国が養子に来た。華かな婚礼で耕地中の者が手伝ひに動員された。お庚申峠で歓声が上がって行列が部落の中へ入って来た。勝太も宇平も荷担ぎに加はってゐた。見物人の集った所へ来ると箪笥を担ぐ者らははやし立てて、故意に重さうに「重い重い」と云って蹌踉めいて見せた。 「何んだ! 石でも入ってゐるんか!」 義一の親爺はいきなりさう悪態ついた。その癖、今日の振舞酒を誰よりも当にしてゐたのだ。 「馬鹿云ふな! まあ一杯飲め......」酒樽と盃がつき出された。女や子供は先を争って御仲人の手からお菓子をねだった。花嫁の後からデップリした花聟が通った。 「今日はお志津まの雀斑も見えなんだなあ!」 見物人の中から誰かがさう云って笑はせた。 翌年の春、志津は男の子を産んだ。利国によって喜八郎と云ふ名前が命名された。 金以外に幸福を感じなかった利国は、今をときめく一代の大金持大倉喜八郎の名を蔭乍ら頂戴に及んだのである。利国はその事を得意顔に人に吹聴した。何代目かで初めて男の子が生れ森田の家の繁栄に祖母のお安は満足な顔をした。 浮気っぽい利国は直きに、大人しい許りで外から帰っても嬉しいやうな顔もして見せぬ志津に厭きはじめた。役場や吉野屋で過す時が多くなって行った。隣村から時々出張して来て吉野屋で店を開く呉服屋の佐々木は折々云った。 「森田の若旦那位果報な人はめったない。女にゃ好かれるし金はいくらでも持っとるし......」 そして煽てて茶屋女の物なぞを頻りに買はせることがうまかった。続いて次の男の子が生れた。今度は善次郎と付けた。安田善次郎の善次郎である。 繭の値が十円以上もしてゐて世間が好景気の真最中だった。森田部落でも田圃が惜気もなく潰されて桑畑に代った。吉野屋には茶屋女が二人も三人もぞろりとした風をしてゐた。 善次郎は生れつきがひよわくて、一年許り育った丈で死んで了った。利国は間もなく義妹の春に手をつけて妊娠させた。 その時はさすがのお安も顛倒した。ぢきに始末をつけることはつけたが、春はいつ迄も蒼い顔をしてゐた。 「春まはどこがおわるいの?」 志津と幼友達の峰のかのゑはわざわざ探りを入れて志津の顔色を読んで見た。志津は性来の寂しい目をしてゐた。 「お志津まも黙っとる人だが馬鹿ぢゃねえぞ!」そんな風に云ふ者もあった。 利国は町の方へ行ったきり帰らぬ日が多くなって行った。森田の身上にもひびが入ったと云ふ噂が聞えるやうになった。 やがて財界の変動が、波のやうに養蚕地を襲ひはじめ、繭値は次第に下落して行った。 さうなると地道に働けぬ性分の利国は、焦って投機に手を出して大損をした。損の埋合せをするつもりで、俄にすばらしい蚕室を建て、七八人も人を入れて春蚕の種を三十枚も掃き立てた。然しそれも見事に失敗に終った。腐ったのと不景気がひどくなったので、結局秋には立てた許りの蚕室が他へ運ばれ、次手に穀倉と納屋とが崩されて運び去られた。 その冬祖母のお安がぽっくりと死んで行った。お安の影のやうに生きてゐた母のおたけがまもなく後を追って死んで行った。 志津は第三番日の男の子を産んだ。今度は久衛と付けられた。利け者だった祖父の名を取って付けたのである。望みがだんだん小さくなって来た。幾度も競売をしてガラン洞になった家の中で、父の紋治は養子を罵り乍ら呆気なく死んで了った。 倒れだしたと思ったらバタバタと一気に倒れて了った。山林も田地も疾うに他人の名儀になった。町の日歩貸の福本清作の手代が後始未に奔走した。手入した庭樹が一本づつ歯を抜くやうに抜き去られて行った。 その年第四番目の子が生れて清作と名付けた。喜八郎も善次郎も直接には響いて来ぬ名だったが清作の名には身に痛い覚えの有る者が多かった。 「清作だって?フン、福本清作ちふ偉い人があるでな! さんざ膏を絞られといてまんだ拝んどりゃ世話はねえ......」 さう云って憤慨したり笑ったりしたものだ。 遂に大きな本宅も取払はれた。二反歩近い屋敷跡には裏手の隅っこにたった一つ文庫蔵が残された。利国達はその土蔵の軒に廂をかけて起伏する事になった。土蔵は福本の所有であり、敷地は利国の生家の中村家の名儀になってゐた。 揚句の果に利国はふいと中風になって寝就いて了った。 「森田も**ささらほうさら**だ!」部落の者は集るとその話になった。 何んと云っても目の前に見事に没落して行く家を見るのは痛快だった。 やがて利国も死んで行った。四十をやっと越えた年で......。みさ子が生れて半年経たぬ頃だった。志津は僅かの歳月の間に五つの葬式を見送った。周囲の事情がすっかり変化して了った。利国の葬式の時、手伝ひに来てゐた合田のおときが、 「以前で云やァ第一の子分だもの、無い者ぢゃないんだで、紋の付いた羽織ぐらい着て来てもよからずに......」 さう云って志津の隣家に当る松下の理之助の事を皮肉ってゐた。 ひとりの妹もこの冬産後の病気で死んだ。 志津は足手まとひの四人の子供と共に取り残された。 夕方になって久衛が学校から帰って来た。 泣かされて来たのか顔が涙でグジャグジャに汚れてゐる。「なにしとったの! 今頃まで......」志津は畑にゐて一寸嶮しい顔をして見せた。 久衛は肩から鞄を外しかけたがぐづぐづした。 「御飯食べてもいい?」志津が黙って頷くのを見ると久衛は元気好く勝手へ入って行った。 「さっさと食べて来て草を削るんだに......」 志津は外から怒鳴った。 五 からだは大分よくなりました。まだ時々背中が痛みますが大したことはありません。 今は夏肥がはじまって毎日畠へ出てゐます。 野襦袢が破れてしまったから、かはりのを送って下さい。股引も破れてしまひました。 米は盆まへに一斗だけもらって持って行きます。もうそれ以上ここから出してもらふことはむづかしいやうです。 伯母さまたちの腹を思ふと私も辛くあります。家では蚕はどうしますか。 おだいじにして下さい。 喜八郎 母上さま 志津は手紙を繰返して読んだ。 春蚕だけでも二百貫以上取る、利国の生家の激しい労働が思ひ遣られた。喜八郎はそこで下男として働いてゐるのである。 利国の死後、中村家の方から「小作料は当分取らぬ事にする、その代り岡島の講の返金をするやうに」と云ひ渡された。 それは情有る言葉のやうで実はさうではなかった。岡島家の無尽と云へば、一口千七百円の大口のもので、それが最初に取ったきり捨ててあったから利息が積った上、短期間の返済を迫られてゐるものだった。窪のおふじの家の無尽もその儘になってゐる矢先にさう云ひ渡されたことは、志津一家に取って致命的な負債を負はされたのであり、それは喜八郎がそのままそっくり背負はせられて、否応なしに泥沼の中を永久的にもがきつづけて行かぬばならぬのだ。 「喜八郎まも今っから苦労をおせるで、忠実しい人におなりるら! どうしたって人間は他人様の飯を食べて見にゃみやましいものにはなれんでなむ!」 おときは時折志津にさう云った。 喜八郎ももう今年は十七歳になってゐた。 晩になってから、志津は隣りの松下へ行った。丁度晩飯時で、家内中の者が賑やかな茶碗の音を立ててゐた。「お掛けて......」嫁のみつ代が愛想好く云った。背中のみさ子が「まんま、まんま」さう云ひ乍ら手を出した。 志津は遠慮勝に切りだした。 「あの、いつかお預けしといた蒲団をおもらひ申したいんで......喜八郎が襦袢がないちふってよこしましたが、なんにも布がないんで......あれでも倒して縫ったらとおもって......」 弁解のやうにつけ加へて云った。 「さうかな! あれをお持ちるかな!」姑のおまきは立ち上って来たが、隠居の方へ廻るように云った。外へ出るとみさ子が、急に泣きだした。志津は納屋の横を通って行く時、その納屋が元の邸のどこに在ったかといふことをチラと思ひ出した。 利国が生きてゐて丈夫だった時分、窮迫してなんでも手当り次第に持ちだしては金に換へるので、志津は内密に夜具一枚と机一脚を隣家へ運んで来て、置いて貰ったのだった。 おまきは隠居所の縁から上って障子をあけた。するとその障子のすぐ際にちゃんと机が置かれてあった。七分厚みの一枚板で、四尺はたっぷりあるがっしりした机だった。両側に三つづつ抽斗のついたひどく古風なものだったが父が養子に来る時、岡島家から持って来たと聞かされてゐたものだった。 志津は机の上に雑誌だのインキ壺だの置かれて座蒲団の敷いてあるのを見て取った。 「誰か使ってゐるのだ!」瞬間にさう覚るといきなり頭の中が混乱して来て、志津は凝っと佇立した。おまきは押入から夜具を出して来た。 「ほんにこれなら丈夫だで、作場へ着れるもの......。昔は、大きいとこのお衆はみんなかういふ物を持ってお嫁入おせたんだなむ!」 おまきはひろげて見乍らさう云った。手紡ぎの糸を手織りにした頑丈な地質で、背中の処におそろしく大きな三柏の定紋が染め抜かれてゐた。 紺の匂ひがブンとした。 「今時こんな重い物を着る人はありませんなむ!」志津は持ち上げて見て云った。 「そいでもこれは綿がとても上等のやうだで倒すのは勿体ないやうだ!」おまきは云った。 志津は「机は次手に頂いて行きます」と口先迄言葉が出かかり乍ら躊躇った。気軽く云って仕舞へば何んでもなささうに思ひ乍ら圧されるやうで云ひ出せなかった。 現に使ってゐる処を見込んで云ひ出す事が苦しかった。「机もお持ちるかな?」さう云ひ出さぬおまきの心の中のものがこちらに反射してくるのだ。 はっきりした事を云はずに預けきりにして置いたので、抵当にほしいと云はれても仕方ない事だった。志津はさう思ふと堪らなくなって、今云はねば云ふ時がないやうな気がしだした。 「みさちゃんにお駄賃がなかったなむ!」おまきはさう云って次の間から煎餅を二三枚出して来てみさ子に持たせた。みさ子は引っ奪くる様にして口へ持って行った。志津はたうとう云ひ出せずに了った。(又今度の次に!)さう心の中で思ひ返した。 「どうもお世話様で......」志津はさう挨拶して、真っ暗な道へ出た。 「何んしろわしら方でもお宅の弁金をうんと背負込んでしまって......」 さう幾度となく聞かされて来た言葉が今更重苦しく頭にこびりついてゐた。どうにも切迫詰って、おまさから内証で融通して貰った五円の金も今はとても払ふ見込はつかなかった。 志津は底もなく滅入り込んで行く心持ちを感じ乍ら、重たい夜具を抱へて歩んだ。 六 「今日はお暑かったなむ!」上の道から声を掛けられて畑にゐる志津は振り仰いだ。尾籠をつけたおときが立ってゐる。「もうどの位な?」 「やっと二眠起きたところ!」志津は答へた。 「おときさんとこは進んどるらなむ! 飼ひがおいいで......」 「昨日桑付けしたとこな。夜跨ぎになって手間が取れちまって......。なんしょ芽桑がちょっともないんで骨が折れてわしァふんと悲しくなったもの!」 おときは溜息をつくやうにして云った。 「うちのもみんなとまってしまって......」 「ほんにこちらのもとまってしまった!陽気の加減だなむ!どうしたって芽は、四方咲でも作ってうんと肥やさにゃ駄目な!」おときはさう呟くやうに云ったがふと、 「ちょっとまあ、松下の畑を見て御覧な! なんたらいい芽が揃っとるら! 綺麗で目が醒めるやうぢゃな!」 いかにも羨望に堪へぬ口調で云った。 そこらは見下す位置になってゐる隣家の畑は今丁度夕陽があたって、一斉に伸び立った桑の若芽がみづみづと黄緑色の蓆をのべたやうに遠く見渡された。桑畑の茂りで隣家は大方隠れてゐる。 おときは猶しばらく喋りつづけた。 「ほんに喜八郎まは如何だな! あのまんまいい向でおいでるらなむ!」 「ありがたうございます」 志津は一寸頭を下げたが、大分いい様子だと云ふ事を話した。 「その節は色々心配しておくれて......」志津はもう一度頭を下げた。 この春蚕前、喜八郎があちらで大病をして、志津は胸の潰れる程心配したがその時、おときが或る黒焼薬を持ってきて呉れたのだった。 「うちのお父っさまが大患ひした時飲んだ残りだけれど......」さう云って渡して呉れたのだがその薬と云ふのは、おときの妹が縁づいてゐる大沢部落の方で手に入れたので、この四倍許りで十五円も出したといふ話しだった。志津はおときの親切を涙を流して感謝した。そして誰よりもおときを頼りに思った。 「そりゃまあ喜八郎まもいい按配だ。なんちゅっても若い者はよくなりたちぁ一気だで......」 おときは急に忙しさうに「まあお上りなさいましょ」さう挨拶して坂を下りて行った。 おときのやうに働く女もなかった。毎年の様に子を産んだが三日目にはもう起きて働いた。年取ってゐて体の弱い亭主を実に大切にして、(おときの亭主孝行は有名だった)一日置位に薬草の風呂を立てる事を欠かさなかった。志津は子供を連れて折々風呂を招ばれに行った。 「おときさもああやってひとりで賄切り廻して行くんだで、なんちゅっても偉いお嬶っさまさ、ちィったあ噂も云はんならんらよ!」 蔭での評判はさうだった。 志津は屋敷畑を下りて石垣下の畑へ入った。そこは彼岸伐りにしてあるほんの狭い畑だった。向うの方はずっと地続きに隣家の畑だった。地境には細い区切がしてあった。以前には深い溝がついてゐたのがいつの間にか埋められて了った。隣家の方で一鍬づつ掘り進んで来るので、攻められて志津の方では一歩づつ身を引く立場に立たせられた。一鍬づつでも永い間には大きなひらきがついて来るものだ。 おときもいつかその事を、 「ほんに身上拵へるやうな人はどっか違ったとこがある!」 さう感心の態で云ったものだ。 志津はなる丈蔭の方の軟かい葉を探し乍ら摘んだが日に焼けてゐて、それでなくさへ痩せ切ってゐるのでいくらも摘めなかった。 地境には、隣家で植ゑた改良の大葉が牛蒡の葉ほどもある大きな葉を茂らせてゐる。 志津はその膏切ったつやつやしい芽桑を見ると、わけもなくむっとした。まるで自分自身の食慾のやうにこんな滋養のある軟かい葉を思ふ存分寝起きの蚕に食べさせてやりたいと云ふ気持が切なく湧いた。 志津は一葉プツリと摘んで見た。ギスギスするほど厚ぼったい葉だった。切り口から白い乳がヂッと滲みだした。志津は努めて平気でをらうとした。そして大急ぎで三葉四葉摘み取ったのを、尾籠の中へ押し込んだ。 夕闇が静かに追って来て涼しい風がザワザワと桑畑をゆすぶった。 山には漆の花が咲いて散った。 森田部落は高い山の上の盆地で他部落へ行くにはどっちへ行くにも坂を降りるか登るかしなければならない。大体岡田村全体が谷間谷間に一部落づつ形成してゐる地勢で他部落との交渉が割に薄かった。大抵のことは部落内でまとめる事が多かった。 森田家の没落と共に、森田部落の周囲を幾重にも取り捲いてゐた森林が丸坊主に伐り払はれた。 それは如何にも瞬く間だった。杣が大勢入り込んで杉や檜や松の大木を片端から倒して行った。皮を剥かれた丸太の材木は毎日山を下り、運送に積まれて町の方へ運び去られた。 跡には赭茶けた山の地肌が醜く曝け出され、岩石と切木株がゴツゴツと露はれてとげとげしい感じを与へた。落葉がいくらとなしに積って腐蝕した山の地面は歩むとへんにボコボコとした軟らかい足触りがした。そして役にも立たぬ馬酔木や躑躅がしょんぼり残された山一杯に木屑が穢なく散乱した。その木屑を大抵の者が密っと自分の家へ運んだ。家の裏手へ積み上げた者もあった。 「源公の野郎、木っぱと嬶と**ばくみっこ**すりゃがって!」(交換の意) 源吉の女房が情夫を作って村を出て行く時分にはそんな悪口も云はれたものだ。 防風林を失った部落はいきなりガランと投げ出された。高い処へ登らなければ見えなかった遠い飯田の町がどこからでも見えるやうになった。 冬になると駒ヶ嶺颪がぢかに吹きつけた。痩せた部落は一層荒涼と雪に埋められ、家々は一層貧相で見窄らしくなった。 部落の北の水沢地籍には古くから一つの泉が湧いてゐた。清洌な清水が滾々と絶えず湧いて水車が廻る程豊富な水量だった。 「中井の水は村一番だ。甘露の味がする。俺が死ぬ時は中井の水を死水に取っておくれ」森田の祖母のお安は口癖のやうにそれを云ってゐたものだった。 志津達姉妹は祖母の命令で折々手桶に汲みに行った。その泉の水が近年めっきり味が落ちて普通の水になって了った。泉も底が浅くなり死んだやうに静かで、**みみず**が白い腹を見せたりするやうになった。 「水までかはった」さう云って何か不思議さうに思ふ者もあった。だがそれは不思議でもなんでもなかった。深い林が伐りつくされた為に他ならなかった。 「森田のおばあさまも死ぬ時分には中井の水どこぢゃなかっつらよ!」 佐賀屋の勝太は谷の田圃へ通って行く時、水を飲みに泉に寄り乍ら感慨深く思ふのだった。 七 森田家が潰れても大部分の部落の者は依然として貧乏だった。否反対に山がなくなった丈でも目に見えて困る事が有った。 例へば以前は「おもらひ申します」と云って頭を下げれば近くの山に入って枯枝を拾ふ事も出来た。無断で伐っても雑木は大目に見られてゐたものだった。それが今では杭ん棒一本手に入れるのも容易ではなくなった。 四五年前、福本の山の盗伐の事で告訴問題が起き上った。昔通りの習慣が崇ったのだ。示談で事済みになったけれど、それは大きな脅威だった。今では焚物一本拾ふも面倒で、大抵の家で燃料に不自由して暮すやうになった。手廻しのいい家では植林の下刈を引受けてやっと冬の焚きものを準備できた。 松茸山がなくなって、義一の親爺や新蔵は内証の小遣銭が稼げなくなった。 伐られた山にはもう一度いつとなしに又草が茂り木が生ひ立ってきた。松茸山には小松が一斉に伸び立ちはじめ、雑木山には夥しい漆の若木が茂って来た。 そして其処には既に二三尺の或は五六尺の檜苗が生々しく育ってゐるのだった。これは伐り跡に直ちに町の福本が植ゑさせたのである。 「これが育つと大したものになるぞ!」 部落の者は山を見て通る時、檜の見事な育ちぶりにおどろいた。 福本は隣の同じ岡島部落の方の山林も岡島家の倒れた時手に入れて所有してゐたから、山続きに何百町歩の檜山杉山が、棄て置いても一年一年その価値を高めて行く訳だった。 「あれで岡島区へ中電の発電所が出来て、鉄道が通ったりするとなると、福本の山はどえらい値が出ることになるな!」 「馬鹿だな貴公は! はじめっからそのつもりだったんぢゃないか。ここらの小狡い奴らが束になってかかったって、福本にかなふもんか。沢渡山だって地続きに欲しかったから手に入れたんぢゃないか......。森田の利国さだって最初っから蛇に見込まれた蛙さ......なんだかだ云って搾りとられてしまったんだ!」 「やイやイおだてられてちィっと芸者揚げてさわいで見た位のもんだな!」 「そいでも福本もこの頃は大分神妙になって、方々へ寄附したりして、前ほど悪く云はれんやうになったちふぞ!」 「県会に野心があるのさ!」 佐賀屋の息子の昇三を中心とする青年達の集りではさうした話題がのぼる事もあった。 一度持ち山の検分に家族連れでやって来て、二三日吉野屋に滞在して行った福本の小兵ないかにも精悍な顔付をみんなは思ひ浮べた。 東京の学校へ行ってゐるといふ福本の娘の華奢な恰好も目についてゐた。 「千円借して四百円天刎ねて......判こ押してさへ居りゃ懐手で身上がふえて行くばかりだなんて、人を馬鹿にしとるなあ」 昇三は考え込むやうにして、 「ん、それよか第一福本は町の人間じゃないか? それが六里も離れたこんな山の中の、なんの由縁もない土地を、お嬶っさまや息子を連れて来て、これが俺らほの山だ、これが俺ら方の土地だって、あたりめえの顔で見て廻って......法律上の事を云ふんぢゃない......。此処の者は先祖の代から此処に住んどったって薪一本からして銭出しとるんぢゃないか。山持っとる者はどんどん植林してその上、県からどっさり補助金が出るっちふことだ......。そこの矛盾を考へるべしと思ふな!」 一語一語熱をこめて云った。 「ん、山持たん者ぢゃ話にならんな。農会あたりぢゃ副業に椎茸作れ白木耳作れって宣伝やっとるが......。なんだって儲け仕事のやれる者はやらでも済んで行ける人達だでな!」 「さうだ。今度の低利資金だって、払へる見込の有る者でなけにゃ貸せんちふものな。......払へる見込がつかんでみんな困っとるんぢゃないか!」 「ん、岡田村だけで一万八千円の低資申込だっていふが、そんなものは焼石に水なんだで...」 唯男は長歎するやうに云った。 「村会が揉めるったって、無理はない。貧乏な村だでなあ。......みんな**どん**栗の背っくらべだ。それで要る方はおんなじに要るんだで、小さい者に大きな負担をうんと背負ひ込ますんだ!」 「これで岡田村もよその村へ出ると地所だけでも大きいちふでな!」 「ん、だけどそんなものは問題にならんさ!。よその村だってどうせ貧乏人は貧乏なんだで......。俺らはもっと徹底したことをいふぞ!」昇三はきっぱりした口調で云った。「とにかくここらの者にもどうにも出来ないどんづまりが来つつあるんだ。ここからどう浮び上って行くかといふことが根本の問題だと思ふな!」 話題はきまって社会思想の方にふれて行くのが常だった。 「この村ぐらゐ思想的に遅れとるとこは有りゃせん!」昇三は口癖のやうにさう云った。 よその村には既に、何かあたらしい機運が動いてゐるやうだった。大抵の村に自由大学や公民講座がどしどし開かれてゐた。貧乏で辺鄙なこの村へは、**ろく**に名士ひとりやって来なかった。小学校の先生も今ではどこでも全く無気力のやうで頼りにならなかった。もっともっと多くの事を知らねばならぬ願望が絶えず昇三達の頭から難れなかった。 この冬一度帰って来た日吉の清司の口から、都会地の方の生活や労働組合の内部の話などが興味深く語られた。清司は村に居る中から指導的立場にゐた青年だったが、旅へ出て行ってからは最左翼的色彩を一層濃厚にしてゐた。 「どうしたって、基礎的な組織を持たなくては駄目だ!」 清司はその事を幾度も云って行った。 昇三は製糸工場から帰ってくる妹達の口から、意外にしっかりした言葉を聞いて驚くことがあった。 昇三の妹の千穂は隣村の製糸工場朝日館で、模範の優等工女だった。 「なんで修養会なんかに執心しとったんだか自分の気が知れんと思ふの......」 千穂はある時さう云った。そして誰からか借りてくる、発禁になつた戦旗や綴込みにした無産新聞を、公休日に帰ると熱心に読みふけってゐた。若い娘達の近頃の進歩と変化にはおどろくものがあった。 昇三は何彼につけて、自分らが立ち遅れた者である事を感じさせられた。「なんとかしなければならない」焦燥にいつも駆られた。そして直接ぶっつかって行くべき何物をも掴む事の出来ぬ立場が歯がゆく物足りなかった。 「昇三、うちでも早く嫁をもらはにゃならん...。千穂らもいつ迄もああやっちゃ置けんし、手が足りんでなんとかせにゃあ......」 母親のおすみはそんな風に切りだした。 「こんな貧乏の中へもらっても仕様ない......。俺ァ三十になるまぢぁもらはんぜ!」 昇三は素っ気なく答へた。 「三十になるまでもらはんわけにも行かんが?」 勝太はポッツリと口を挟んだ。 昇三達の間では娘の噂もしてゐられぬといふ風だった。 八 八月になってから急に蒸々と気温が昇って、雨気づいた日が続いた。何処の家の蚕にも白彊病が出始めた。拾っても拾っても後から後から白くなって死んで行った。ひどいところでは一晩のうちにぞっくりと白く硬化した。役場で配った薬を蚕の上に振りかけて消毒して見ても、なんの効果もなかった。土間に白く山盛に放り出した死蚕を眺めて人々は張合のない顔を合せてゐた。 天竜川には毎日河上の方で捨てる蚕が流れてくる噂だった。そして日日の新聞は日増に繭の値の下落を報じた。 「へえまあお蚕飼ひはつくづく厭ァになつた!」 女房達はさう云って顔色をわるくしてゐた。 志津の家でも食延となってからは一人では手が廻りかねた。志津は桑畑と家との間を小走りに駆け廻らねばならなかった。やっと一回給桑を終へたかと思ふともう直ぐ次の桑に追はれ通した。蚕も狭い土蔵の中許りには置ききれなくなったので、廂に蓆を敷いて移した。そして棚を作って二段飼ひにした。朝日の射し込む方へは、久衛に土蔵横の樫の木の枝を伐らせて吊り、日蔭を作った。 今はどこでも簡単な屋外育が流行ってゐて、露天のテント張りの中で飼ふ家もあったので、志津も廂へ出して見たので、さうでもなければ、一度一度蚕沙を代へる手間はとてもなかった。志津は寝不足が続いてゐた。朝目を醒ますと、体がミシミシと病めてよろよろする程だった。 昨日から小止みなく雨が降りつづいてゐるので、ビショビショに濡れて摘んで来た桑を土間から炉端から家中にひろげて乾かさねばならなかった。そこらあたり濡れて足の踏場もないやうだった。飯櫃の中にまで蚕糞が落ち込んでふやけてゐた。志津は子供の口を飼ふ隙もない思ひをした。二人の子供は外へ出られないので、狭い家の内でてんでにつきまとった。殊にふさ子は発育が遅れて今漸くよちよち立ち始め危なくて目が離せなかった。 それに頭にいっぱい腫き物がしてゐて膿がヂグヂクでるので余計機嫌が悪かった。 「これは遺伝性の毒から来てゐるのだから早速癒りませんよ」さういつか医者に云はれた事があった。 志津は自分の体の上にも大きな故障のある事を疾うから気付いてゐた。時々激しい眩暈を感じた。 やっと露の乾きはじめた桑を集めて、大急ぎで飼ひ出した。蚕は透き切ってゐる。さっきから清作は何か愚図愚図云ってゐる。志津は忙しいので、相手にもしないでゐると清作は次第に声を高めて行った。 「一銭、一銭お呉んなったら?」 「飼っちまったらやるで......」 「厭ァなあ、今でなけにゃ......」清作は泣声を上げたが、素知らぬ顔で飼ってゐる母親を見ると、喚いて急に勝手の障子をガタガタ揺すぶりはじめた。それが志津の苛々してゐる神経をかき廻した。今度はいきなり障子へ足を突込んでベリベリと破った。そして傍に這っているみさ子の体を蹴飛ばした。「わあっ――」とみさ子は泣きだした。志津は飛んで来た。そしていきなりピシャリと清作の頭を殴った。志津の眼には口惜しい涙がにじみ出た。 「飼っちまったら遣るって云っても? 解らん児だ!」 志津は戸棚から一銭出して「さァ――」と云って渡した。清作は機嫌が直って、涙を拭いたが、銭を握って外へ出た。「清ッ!」志津は家の中から呼んだ。 「早く行って買って来て、お母あゃんはせはしいんだでみいちゃんの守をしとくんなよ!」 「ウーん」と長く引張って答へて、清作は坂の下の方へ駆けて行った。 志津はふとした時に、死んだ利国の事が憶ひ出された。末だどこからかひょっと帰って来る様な気がする時があった。或る晩利国は泥酔して帰って来て門先の溝川へ転げ落ちた。そして起き上る力がなくなって「う、う」と唸るばかりだった。 「お父っさま、お父っさま!」 志津は涙をボロボロこぼし乍ら取り縋った。 利国は月が経って漸く半身丈動かせる様になったが、口が充分利けず、涎が流れる様になって見る影もなくなって了った。 利国はやっと杖にすがり乍ら、川向うの生家へ始終のやうに米や金の無心に出掛けて行った。 「利に来られると身がちぢむやうだ!」 向うの母親はさう云って歎いた。 それでも親の情で、帰って来て袋をあけると、五十銭銀貨の二つや三つ包んだ紙包みが、米にまじって出て来たことも一度や二度ではなかった。 「お父っさまお米持って来た?」 久衛と清作は心配さうに、内証でお互ひにそのことをささやき合った。 人には話すこともできぬやうな悲惨な思ひの日が二年も三年も続けられて来た。 志津は時折利国に相手になってもらって、あぶなっかしい足どりで畑へ肥桶を担いで行ったことを思ひだした。それは散々道楽しつづけて、いつもお互ひに冷たい眼をしあってゐたもとの夫とは別人のやうだった。 さういふ夫に対してはじめて、落付いた夫婦らしい情愛を持つ事が出来たやうだった。 志津は何も彼も勝手に押しつけておいて先に死んで行った利国が怨めしくて仕方なかった。 絶えず絶えず押し寄せてくる生活の不安をとてもひとりで払ひ切れぬ気がした。 上簇の日には、志津はおときを頼んだ。 おときの所では一昨日上簇が済んで、今漸っと**うろつき**拾ひが片付いたところだと云って直ぐに来て呉れた。 巣掻いた蚕がさわぎ立ってゐるので、志津はおときと二人で目が廻る程忙しなく動きつづけた。廂の軒で条桑育にした蚕には、栗の木の枝を刈って来て、それにとまらせてはたいた。それを片端から今牧に移して棚へさした。 「余っぽどまめな虫だこと! これなら六貫平均出るかも知れん......、お宅ぢゃ白彊病がすくなかったで!」 おときは虫を拾ひ乍らそんな事を云った。 「そんなに出ますものかな! 全部でそんな事かも知れん! いきなり飼ひをして、それに桑が**へぼい**でとても駄目な!」 「本当に桑がへぼくちゃ駄目だなむ、貫数より何より糸分がないで......わしら方あたりぢゃ生産へだしてもいつでも糸量で引かれちまって!」おときは云った。 「かのゑさんとこはいつでも上手で沢山お取りるなむ!」志津がさう云ふとおときはフンと笑って云った。 「どうだか判るもんかな! あそこぢゃいつでも種を胡麻化すで......春蚕だって八十五貫だがとって十枚だ十枚だってかのゑさは云っとったけれど、ほんとは十一枚掃いたんだっちふことだで......」 蚕種枠製一枚について何貫取るかといふ事は、凡そどこでも競争になってゐた。米と異って蚕の方は成る丈お互ひに自慢し合った。春蚕だと種類にもよるが大抵八貫前後取れるのだが、夏蚕になるとさうはゆかなかった。 志津は是程に骨を折ってそれで何貫取れるかと思ふと心細かった。「蚕さへあがったら?」さうあてにしきってゐるのだが、考へて見ればいくらの収入になるのでもなかった。 さしづめ何に振当てていいか見当もつかぬ程手許が逼迫してゐる。 食ひ盛りの久衛も清作もハラハラする程よく食べた。志津は屡々さもしい心に苦しめられた。 「ひと休みせまいかな!」 お巣掻きが一片附いた。おときはさう云って腰をのばした。光線の入らぬ土蔵の中は真夏でも案外涼しかった。志津はお茶を入れる為炉端で火を焚きつけた。穢く汚れた炉端の蓆におときは坐った。 壁に一枚紙片が貼られてある。 森田区婦人会申合 一、現今不況に際しお互ひに出来る丈質素倹約を守りませう 一、お茶菓子廃止、その他冗費は一切はぶき自給自足でゆきませう 一、麦・蕎麦・栗・豆・大根の副食物を多く食べ、なるべく米を浮かす工夫をしませう それは主婦の責任であります 一、したがって、畠仕事に精だし間作を怠らぬやうにしませう 一、毎月米五合、雑巾一枚づつ集めて貯金組合を作りませう どちらか一方へは必ず加入すること 雑巾は縦一尺、横八寸、糸は二重糸にて刺すこと おときは無感動な顔でそれを読んでゐた。 是は春の婦人会の時提案があったもので、松下のおまきや吉本屋の嫁が主唱者だった。 米は精米所へ、雑巾は朝日館へ売却の契約が出来て実行しはじめたものだった。 「おときさん、今月の分はもうおだしつらなむ?」 「お米の方だけなむ!雑巾縫はずもこちとらにゃァ手間も布もありませんで......。ためになることは解っとるけど仲々そこがやかましくて......」 志津はだまってうなづいた。此の村には製糸工場がないので村内の者は、大抵他村の生産組合へ加盟して供繭してゐるのだった。おときの家でも朝日館の組合員だった。 志津は今度の繭を此処で村廻りの繭買人に壱円八十銭位の馬鹿値で叩き買ひにされるより生産へ持って行きたかった。生産では春蚕を二円の仮渡しをしたといふ事だから、庄作の運送に頼んでやってもいくらか浮く勘定だった。それにはおときに頼んで、おときの家の名義を借りて出すのが得策だった。 志津はそのことを話して見た。 「それが?」おときは顔を歪めるやうにして云った。 「なんしょわしら方ぢゃ生産に借金が有って、春蚕だって無理に借りて来とるやうなわけで今度の夏蚕も飼って見る丈でくる分は更にない......もらふどこぢゃない。こちらからよっぽどお足しが行かにあ勘定にならん......受判頼んで先へ先へ借りてくるもんで、順に困るばっかりな!」 おときは深い溜息をついた。おときの家では、蚕も大取りだしそれに娘が二人も生産の工女になってよく稼ぐので楽にならねば嘘なのだが――。 「ふんと働き足りんのだかなんだか困る困るっていふより他の事は云ったことがない......お盆が来るに着物がねえって、清子ら悲しがるで、わしもやる瀬がねえがどう思っても仕ようないもの!」 おときはさう云って寂しくわらった。 九 降りつづいてゐた雨が夕方から激しく風を呼んで暴風雨となったが夜明となってやうやくをさまった。野分が過ぎて山の上の部落はにはかに冷々と秋らしくなった。 昨夜の大雨で森田家の墓地には、裏手の山からおびただしく土砂が押し出して来て、そこら中目もあてられぬ程の荒れ様だった。水溜りがいっぱい出来て、おまけに利国の墓には盛土の横腹にドカンとした大穴があいた。そこから水が流れ込んだと見え、屋根は引っくり返り墓標がガサリと落ち込んで了った。 その朝早く、朝草刈に近道を抜けて来た、おときが見付けて「おお、怖っかねえ!」と魂消た声をだした。そして小さい男の児を急き立てて、「さァ、さっさと歩かんと利国さのお化が出てくるぞ!」とおどかした。 おときは坂の上から志津を呼んでそのことを話して行った。 翌日になって志津は隣の源吉を頼んで墓地の掃除をはじめた。先祖代々の物々しい墓石が列を作って幾列もならんでゐる。広い地所丈に荒れ切って落莫としたものだった。 一番前列に、善次郎、お安、おたけ、紋治、そして利国のがならんでゐる。石碑が立たぬのでどれも形許りの土饅頭で、墓標の文字が辛うじて読めた。 「おばあさまのが一番しっかり出来とる」 源吉はさう云った。まだ何んと云っても、お安の死んだ頃には、森田家にも残りの光があったのだ。それが最後の利国の場合には、まるで形許りのものだった。 隣部落から頼んだ禰宜様が、汚れた白足袋を穿いたままで、通り一遍の祝詞をあげたきり、なにしろ北風の寒い日で吹きさらしの墓場にはゐられないので、お義理に集った部落の者達もそこそこに引き揚げて了ったのだった。 源吉は志津を相手にして、土を連びだしたり盛土を盛り直して屋根をつくろったりした。学校から帰って来た久衛と秀とが墓場に上って来てから急に賑かになった。源吉は自分の藪から伐って来た青竹で作った竹筒を一本づつ墓の横へ立てた。 「なんでたかつっぽ立てるの?」秀は父親に聞いた。 「花を立てて進ぜるんだ。仏さまにな」 「お父っさまに灯をつけて進ぜるんだに」 志津は久衛に云った。 「灯を進ぜるってどうやるんな?」 「いつか新ちゃんとこでしたやうにかな? 蝋燭をうんとつけて......」二人の子供は同時に聞いた。 「うん、八百燈をな」 「どこへ灯をつけるんな?」 「ここのまはりから街道の方へつけて行くやうにするだな」 源吉は志津に計るやうに云った。 うるさく問ひ質した秀と久衛はその時思はず顔を見合せた。 「やア!」といかにも悦ばしさうな声を上げた。 「やア、灯をつけるんだってよォ......」 二人の子供は叫び乍ら縺れるやうにして、街道の方へ駆けて行った。 昔はこの部落でも残らず仏式だったが、禰宜様の方が手軽で金が掛からぬので、今は大抵の家で神葬祭になった。 それでも古くからの習慣で、盆になると墓地に秋草の花を供へ、新盆の家では夜になるのを待って墓地の周囲に灯を点けて祭った。子供は盆がくるのを待ちきった。「盆がすんだら何待ちる......」さう果敢なく楽しんで製糸工場から帰ってくる少女達は唄った。 源吉はひと休みして、傍らの朽ちた木株に腰を下した。煙管を出して一服吸ひつけたがふと気が付いたやうに、 「今年は新盆が三つあるかなあ?」と云った。 「こちらと新屋の娘と中屋の老爺と......、窪の由松さは春だったで去年済んだな!」 「開土の子も今年ぢゃなかったかしら?」 「ほんにあそこの坊もさうだったかしらん......そいぢゃ今年は四つもある。こんな年も滅多ねえな。みんな泣き葬ひばっかりで――。まあ中屋のおぢいは年が年だで順当だが......。そいぢゃ今年は方々の灯が見えるなあ!」源吉は煙管を腰にはさみ乍ら立ち上って、道具をかた付けはじめたが、「此処は場所が高いでどこの灯より派手て見えることずら......」 さう独り言のやうに呟いた。 志津は水を汲むために坂を下りて行った。 お盆は明後日に迫ってゐた。 一九三〇・一二 (「つばさ」第二巻 第四号)
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NDC 913
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新字旧仮名
辻野久憲君
堀辰雄
辻野君のこと、大へん悲しい。仕事の上でも惜しいことをしたと思ひます。辻野君のした仕事の大半は、飜譯だつたけれど、所謂飜譯家にありがちのよそよそしいところがちつとも無くて、いつも熱をもつて、全身的に、普通の人ならてんで齒も立たないやうなものにぶつかつて行つてゐました。だからその選擇した作品を見てゆくと、辻野君といふ人がよく解るやうです。 ヴァレリイ、ジィド、モオリアック、リヴィエェルとその作者を擧げて見ても、――さう、このリヴィエェルといふ人など、辻野君には一番しつくりしてゐたのぢやないかな。この人の「ランボオ論」など辻野君の飜譯の中でも最も印象ぶかい。リヴィエェルの、佛蘭西などの批評家にはめづらしい位に熱つぽい書きかたが、辻野君自身にも本當にぴつたりしてゐたのだらうと思ひます。その後、リヴィエェルとクロオデルの往復書翰も是非譯したいといつて、それは既に手をつけてゐたやうですが、とうとう完成されずにしまつたのは、返す返すも惜しい。かういふ辻野君を措いては、他にさういふ特殊なものを手がける人もちよつと居ないでせうから。 モオリアックを譯して「作品」に載せるとき、何がいいだらうと僕も相談を受けましたが、僕はあいにく「テレエズ・デケエルウ」と「癩者への接吻」しか讀んでゐなかつたけれど、どちらにもひどく感心してゐたので、躊躇なくその二つのうちならどつちでもいいだらうと答へましたが、まあ「テレエズ・デケエルウ」の方がいいかなと思つてゐたところ、辻野君は「癩者への接吻」の方を撰びました。勿論その方が短くて雜誌に載せるのに都合よかつたせゐもあつたのだらうけれど、それをしばらく問はないとすれば、その二つのうちの撰擇にも辻野君の一面がよく出てゐるやうな氣がする。さういふモオリアックの初期のものなどから、最近はもつと本格的なカトリック文學にずんずん惹きつけられてゐたやうですが、(さういふカトリック的要素は二つのうちでは「癩者への接吻」の方にずつと多かつたのぢやないかしら、)しまひにはとうとうモオリアックの近作「イエス傳」をすこし我武者羅な位に素早く(それで身體までこはしたやうだが)譯してしまつた。そしてそれが最後の仕事になつた。 いまだに「テレエズ・デケエルウ」の不安の方を好んでゐる僕は、相も變らず人生のこちら側に立つて、カトリックといつたやうなものはすべてずつと向うに見てゐるものです。そんな僕の不安さうに見てゐる前で、辻野君はずんずん向う側に渡つていつたのでした......。 辻野君のそれからのいろいろな話、それを知りたいのは僕だけではないでせう。誰かずつと側に附添つてゐた人がそれを聞かせてくれるといいと思ひます。 辻野君はジィドの「地の糧」を譯したとき、自分自身で譯したそれをいつも片身離さずに旅にも持つて行けるやうな小さな美しい本にしたいと言つてゐたけれど、そんな無邪氣なところもあつた人でした。さういふところが飾り氣がなくさつぱりしてゐて、實に好い感じがしました。
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NDC 914
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旧字旧仮名
遺教
西郷隆盛
死生の説 孟子曰ク。殀壽不レ貳。修メテレ身ヲ以俟ツレ之ヲ。所二以立ツル一レ命ヲ也。(盡心上) 殀壽は命の短きと、命の長きと云ふことなり。是が學者工夫上の肝要なる處。生死の間落着出來ずしては、天性と云ふこと相分らず。生きてあるもの、一度は是非死なでは叶はず、とりわけ合點の出來さうなものなれども、凡そ人、生を惜み死を惡む、是皆思慮分別を離れぬからのことなり。故に慾心と云ふもの仰山起り來て、天理と云ふことを覺ることなし。天理と云ふことが慥に譯つたらば、壽殀何ぞ念とすることあらんや。只今生れたりと云ふことを知て來たものでないから、いつ死ぬと云ふことを知らう樣がない、それぢやに因つて生と死と云ふ譯がないぞ。さすれば生きてあるものでないから、思慮分別に渉ることがない。そこで生死の二つあるものでないと合點の心が疑はぬと云ふものなり。この合點が出來れば、これが天理の在り處にて、爲すことも言ふことも一つとして天理にはづることはなし。一身が直ぐに天理になりきるなれば、是が身修ると云ふものなり。そこで死ぬと云ふことがない故、天命の儘にして、天より授かりしまゝで復すのぢや、少しもかはることがない。ちやうど、天と人と一體と云ふものにて、天命を全うし終へたと云ふ譯なればなり。 (按)右は文久二年冬、沖永良部島牢居中、孟子の一節を講じて島人操坦勁に與へたるものにて、今尚ほ同家に藏す。 一家親睦の箴 翁、遠島中、常に村童を集め、讀書を教へ、或は問を設けて訓育する所あり。一日問をかけて曰ふ、「汝等一家睦まじく暮らす方法は如何にせば宜しと思ふか」と。群童對へに苦しむ。其中尤も年長けたる者に操坦勁と云ふものあり。年十六なりき。進んで答ふらく、「其の方法は五倫五常の道を守るに在ります」と。翁は頭を振つて曰ふ、否々、そは金看板なり、表面の飾りに過ぎずと。因つて、左の訓言を綴りて與へられたりと。 此の説き樣は、只當り前の看板のみにて、今日の用に益なく、怠惰に落ち易し。早速手を下すには、慾を離るゝ處第一なり。一つの美味あれば、一家擧げて共にし、衣服を製るにも、必ず善きものは年長者に讓り、自分勝手を構へず、互に誠を盡すべし。只慾の一字より、親戚の親も離るゝものなれば、根據する處を絶つが專要なり。さすれば慈愛自然に離れぬなり。 書物の蠧と活學問 明治二年、翁は青年五人を選び、京都の陽明學者春日潜庵の門に遊學せしむ。五人とは伊瀬知好成(後の陸軍中將)、吉田清一(同上)、西郷小兵衞(翁の弟)、和田正苗、安藤直五郎なり。其時翁は吉田に告げて曰ふ。 貴樣等は書物の蠧に成つてはならぬぞ。春日は至つて直な人で、從つて平生も嚴な人である。貴樣等修業に丁度宜しい。 と、又伊瀬知に告げて曰ふ。 此からは、武術許りでは行けぬ、學問が必要だ。學問は活きた學問でなくてはならぬ。其れには京都に春日と云ふ陽明學者がある、其處に行つて活きた實用の學問をせよと。 私學校綱領 一 道を同し義相協ふを以て暗に集合せり、故に此理を益研究して、道義に於ては一身を不レ顧ミ、必ず踏行ふべき事。 一 王を尊び民を憐むは學問の本旨。然らば此天理を極め、人民の義務にのぞみては一向難に當り、一同の義を可キレ立ツ事。 (按)翁の鹿兒島に歸るや、自分の賞典祿を費用に當てゝ學校を城山の麓なる舊廐跡に建て、分校を各所に設け專ら士氣振興を謀れり、右綱領は此時學校に與へたるものなり。 底本:「西郷南洲遺訓」岩波文庫、岩波書店 1939(昭和14)年2月2日第1刷発行 1985(昭和60)年2月20日第26刷発行 底本の親本:「絶島の南洲」内外出版協會 1909(明治42)年10月20日発行 「南洲翁謫所逸話」川上孝吉 1909(明治42)年2月27日発行 ※底本の末尾に添えられた「書後の辭」で、編者の山田済斎は、「遺教」を「孤島の南洲」と「南洲翁謫所逸話」をもとにしてまとめたとしています。この内、「孤島の南洲」は正しくは、「絶島の南洲」です。 ※「絶島の南洲」は、近代デジタルライブラリー(http://kindai.ndl.go.jp/)で参照できます。 入力:田中哲郎 校正:川山隆 2008年4月8日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」は「/\」で表しました。
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NDC 289
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旧字旧仮名
二人町奴
国枝史郎
1 「それ喧嘩だ」 「浪人組同志だ」 「あぶないあぶない、逃げろ逃げろ」 ワーッと群衆なだれを打ち、一時に左右へ開いたが、遠巻きにして眺めている。 浪人組の頭深見十左衛門、その子息の十三郎、これが一方の喧嘩頭、従うもの二三十人、いずれも武道鍛練の、度胸の据わった連中である。 その相手は土岐与左衛門と、その一味の浪人組、その数およそ三四十人。 おりから春、桜花の盛り、所は浅草観世音境内、その頃にあっても江戸一の盛り場、しかも真昼で人出多く、賑わいを極めている時であった。 「あいや土岐氏」と十三郎、ヌッとばかりに進み出た。 年この時二十八歳、色白く美男である。その剣道は一刀流、免許の腕を備えている。 「過日我らが組下の一人、諸戸新吾と申す者、貴殿の部下たる矢部藤十殿に、鞘当てのことより意趣となり、双方果し合い致したるところ、卑怯にも矢部殿には数人を語らい、諸戸新吾を打ち挫き、恥辱を、与えなされたため、諸戸は無念を書き残し、数日前に腹切ってござる。以来我ら貴殿に対し、矢部殿お引き渡し下さるよう、再三使いをもって申し入れましたが、今になんのご返事もない。組下の恥辱は頭の恥辱、今日ここで偶然お目にかかった以上、貴殿を相手にこの十三郎単身お掛け合い致しとうござる。土岐氏、即座にお答え下され。さあ矢部殿を渡されるか? それともビッシリお断わりなさるか? 渡されるとあればそれでよい。当方にて十分成敗致す、渡されぬとあっては止むを得ぬ。貴殿と拙者この場において、尋常の勝負、抜き合わせましょう! いかがでござるな、さあ、ご返答!」 凜とばかりに云い入れた。 「お気の毒ながらお断わりじゃ」 こう云ったのは与左衛門。年の頃は四十五六、頬髯の濃い赤ら顔、上背があって立派である。 「いかにも我等組下の者矢部藤十儀、貴殿の組下、諸戸殿と果し合いは致しましたが、卑怯の振舞いは決して致さぬ。傍らに引き添った同僚が、仲間の誼み自分勝手に、助太刀の刀を揮った迄、これとて考えれば当然のこと、志合って組をつくり、一緒の行動とる以上、助け助けられるに不思議はござらぬ、矢部を渡さば成敗する。かよう云われる貴殿の言葉を、承知致したその上で、矢部を貴殿に渡したが最後、拙者の面目丸潰れじゃ。お断わりお断わり、決して渡さぬ!」 これも立派に云い切った。 「なるほど」と云ったは十三郎、 「お言葉を聞けばごもっとも、よもやムザムザ矢部殿を、我々の手へはお渡しあるまい。止むを得ぬ儀、貴殿と拙者、ここで果し合い致しましょう」 「左様さ」と云ったが土岐与左衛門、承知するより仕方なかった。 「よろしゅうござる、お相手致そう」 それから部下をジロリと見たが、 「これ貴殿方、助太刀無用、我ら二人だけで立ち会い致す。よろしいかな、お心得なされ」 こうは云ったが眼使いは、その反対を示していた。一同刀を抜き連らね、一斉に引っ包んで打って取れ。よいかよいかと云っているのである。 「いざ」と云うと土岐与左衛門、大刀サッと鞘ばしらせた。 グーッと付けたは大上段、相手を呑んだ構えである。 「いざ」と同時に十三郎、鞘ばしらせたが中段に付けた。 シ――ンと二人とも動かない。 春陽を受けて二本の太刀、キラキラキラキラと反射する。 それへ舞いかかるは落英である。 ワ――ッと群集は鬨を上げた。だが直ぐに息を呑んだ。と、にわかに反動的に、浅草の境内ひっそりとなり、昔ながらに居る鳩の啼声ばかりが際立って聞こえる。 土岐与左衛門これも免許、その流儀は無念流しかも年功場数を踏み、心も老獪を極めている。 相手の構えを睨んだが、 「油断はならぬ。立派な腕だ。しかし若輩、誘ってやろう」 ユラリと一歩後へ引いた。 果して付け込んだ深見十三郎、 「むっ」と喉音潜めた気合。掛けると同時に一躍した。ピカリ剣光、狙いは胸、身を平めかして片手突き! だが鏘然と音がした。 すなわち与左衛門太刀を下ろし、巻き落とすイキで三寸の辺り、瞬間に払ったのである。 十三郎、刀を落としたか? 落とさばそこへ付け込んで、無念流での岩石落とし、肩をはねよう一刀にカッ! と与左衛門は見張ったが、期待外れて十三郎、飛び退って依然同じ構え、中段に付けて揺がない。 と、思ったも一刹那、年若だけに精悍の気象、十三郎スルスルと進み出た。 2 据わった腰、見詰めた眼、溢れようとする満腹の覇気スルスルと進み出た十三郎に押され、土岐与左衛門圧迫を感じ、タッタッと三足ほど退いたが、やや嗄声で、 「さあ方々!」 声に応じて三四十人、与左衛門の部下一斉に、刀を抜いたがグルグルグル、深見十三郎を引っ包んだ。 「卑怯!」と叫んだは十三郎の部下、これも一斉にすっぱ抜くと、与左衛門の部下を押しへだて、ジ――ッと、一列に構え込んだ。 まさに太刀数六七十本向かい合わせてぴたりと据わり、真剣の勝負、無駄声もかけずただ、位取った刀身が、春陽をはねて白々と光り、殺気漂うばかりである。 旗本奴と町奴、それと並び称された浪人組、衣裳も美々しく派手を極め、骨柄いずれも立派である。その数合わして六七十人、真昼間の春の盛り場で、華やかに切り合おうというのである。 凄くもあれば美しくもある。 遠巻きにした群集達。一時に鬨作って逃げ出したが、さらに一層遠くへ離れ、勝敗はどうかと眺めている。 気の毒なのは店屋である。バタバタと雨戸を引いてしまった。側杖を恐れたからである。役人も幾人かいたけれど、うかと手を出したら怪我しよう! で茫然と見守っている。 仲裁する者はないのだろうか? なければ血の雨が降るだろう、死人も怪我人も出るだろう。 群集の**どよめき**治まると、深刻な静寂が寺域を領し、その中に立っている観音堂、宏大な図体を頑張らせてはいるが、恐怖に顫えているようにも見える。 と、この時仁王門の方から、修羅場にも似合わぬ陽気な掛け声が、歌念仏の声をまじえ、ここの場所まで聞こえてきた。 次第々々に近寄って来る。 見れば飾り立てた**だし**であった。巨大な釣鐘が乗っている。 吉原十二街から寄進をした。釣鐘を運んで来たのである。 にわかに**だし**が止まってしまった。浪人組が構え込んでいる。白刃がタラタラと並んでいる。そこを押し通って行くことは出来ない。 賑やかな囃も急に止み、それを見物の人々も息を呑んだ。 この間も二手の浪人組、太刀を構えて**せり**詰めて行く、やがて白刃が合わされるだろう、境内は血潮で染められるだろう、負けた方は逃げるに相違ない。勝った方はきっと追っかけるだろう。乱闘となったら見物にも、善男善女にも怪我人が出来よう。奉納の釣鐘にも穢れがつき、大勢の寄進者も、傷付くかもしれない。 「逃げろ逃げろ」と云う者もある。 「一まず**だし**を引っ返せ」と喚き立てる者もある。 あぶないあぶない折柄であった。 「どいた、どいた、ご免下せえ」 ドスの利く声を掛けながら、群集を左右に掻き分け、**だし**に近寄った人物がある。 三十がらみで撥髪頭、桜花を散らせた寛活衣裳、鮫鞘の一腰落し差し、一つ印籠、駒下駄穿き、眉迫って鼻高く、デップリと肥えた人物である。 丁寧ではあるが隙のない態度、ジロリと一同を見廻したが、 「大変な騒動になりましたな。さぞ皆様もお困りでしょう、ケチな野郎ではございますが、私がちょっと仲裁役、一肌脱ぐことに致しましょう、と云いたいんだがどう致しまして、**すっぱだか**になって踊ってみせます。ついては釣鐘を借りますよ。傷は付くかもしれませんが、まずまず血では穢されますまい。まっぴらご免」と云ったかと思うと、白の博多の帯をとき、クルクルと衣裳を脱ぎ捨たが下帯一つの全裸体、何と堂々たる体格だ、腕には隆々たる力瘤、胴締まって腰ガッシリ、黒々と胸毛が生えている。そのくせ肌色皓々と白い。 腕をのばすと釣鐘の龍頭、グッと掴んで引き下ろした。見る間に双手を鐘の縁、そいつへ掛けると大力無双、頭上へ差し上げたものである。 と、投げ込んだは浪人組の中、地響と共にゴ――ンと鳴り、音が容易に消えて行かない。 仰天した二派の浪人組、サ――ッと左右へ引いたが付け目、ヒラリと飛び込んだ裸体の男、鐘を引き起こすとカッパと伏した。龍頭を踏まえて突っ立ったが、左右を見比べると両手を拡げ、さてそれから云いだした。 「お見受けすれば浪人組、今世上に名も高い、土岐与左衛門様に深見様、どんな意趣かは存じませぬが、賑わう浅草の境内で時は桜の真っ盛り、喧嘩沙汰とは気の知れぬ話、其角宗匠が生きていたら、花見る人の長刀、何事だろうと申しましょう。喧嘩貰った、お預け下せえ。そういう私は人入れ家業、芝浜松町に住居する富田家清六の意気地のない養子、弥左衛門といってほんの三下だが、親分は藩隨院長兵衛兄弟分には唐犬権兵衛、放駒四郎兵衛、夢の市郎兵衛、そんな手合もございます。お預け下せえお預け下せえ。それとも」と云うと腕を組んだ。 「仲裁役には貫禄が不足、預けられぬと仰言るなら、裸体で飛び込んだが何より証拠、とうに体は張って居りやす。切り刻んで膾とし、血祭りの犠に上げてから、喧嘩勝手におやり下せえ。息ある限りは一歩ものかねえ、そこは男だ、一歩ものかねえ。さあさあ預けて下さるか、それとも、膾に切り刻むか、ご返事ご返事、聞かせて下せえ!」 男を磨く町奴。ドギつく白刃の数十本の中で、小気味よく大音を響かせた。 ワ――ッと群集のどよめいたのは、その颯爽たる男振りに、思わず溜飲を下げたのであろう。 3 気を奪われた浪人組、互いに顔を見合わせたが、そこは老功の与左衛門である。**けっく**幸いと考えた。 「こいつは**いっそ**任せてしまえ」 そこで抜身をダラリと下げ、ツト進み出ると、云ったものである。 「これはこれは弥左衛門殿か、お名前はとうから存じて居ります。争いの仲裁まずお礼、いや何原因も知れたことで、折れ合おうとすれば折り合います。またお顔を立てようとなら、無理にも折り合わなければなりますまい。それにしても実に大力無双、殊には裸体で突っ立たれたご様子、洵に洵に立派なもので、そういうお方にお任せし、事を穏便に治めるは、我々にとっても光栄というもの、但し果して深見氏の方で」 すると十三郎もズット出た。 「いや拙者とて同じでござる。弥左衛門殿のお扱いなら、なんの不足がございましょう。白柄組とか吉弥組とか、旗本奴の扱いなら、とかく何かと言っても見たいが、長兵衛殿のお身内なら、我々にとってはむしろ味方、弥左衛門殿のご高名も、かねがね承知致して居ります。土岐氏においてそのおつもりなら、スッパリ何事もあなた任かせ!」 「ま、任せて下さるか......」 弥左衛門喜んで辞儀をした。 「それでは何より真っ先に、抜いた白刃を元の鞘へ」 「よろしゅうござる」と土岐与左衛門、部下の一同を見廻したが、 「な、方々聞かれるような次第、さあさあ刀をお納め下され」と自身パッチリ鞘に納める。 「貴殿方にも」と十三郎「刀をお納めなさるがよろしい」――で、パッチリと鞘に納める。 血の雨の降るべき大修羅場は、こうして平和に治まったのである。 「こうなったのもこの釣鐘が私に役立たせてくれたからで、目出度い釣鐘、有難い釣鐘、さあさあそれでは元の座へ」 龍頭を掴むとグ――ッと引き上げ、肩へ担ぐと弥左衛門、**だし**の上へそっと置いた。 「さあさあ皆さん景気よく、奉納寄進しておくんなせえ」 声を掛けると美しい女や男達、ドッと喜びの声を上げ、すぐに続けて賑やかな囃、それから**だし**を引き出した。無事に寄進が出来たのである。 見ていた群集も賞讃し、 「釣鐘様! 弥左衛門様!」 「釣鐘の親分! 釣鐘弥左衛門!」 ――爾来人々弥左衛門を、釣鐘弥左衛門と称したが、それ程の釣鐘弥左衛門も、兄分と立てなければならなかったのは、緋鯉の藤兵衛という町奴であった。 4 ある日と云ってもずっと後だ――寛文年間のことである。 「兄貴おいでか」と云いながら、訪ねて来たのは釣鐘弥左衛門。 「これは釣鐘、珍らしいの」 こう言ったのは緋鯉の藤兵衛、長火鉢の前に坐っている。 向かいあって坐った釣鐘弥左衛門、今日は一向元気がない。 そういえば緋鯉の藤兵衛にも、さっぱり元気がないのである。二人、しばらく物も云わない。 「近頃浮世が面白くないよ」 やがて云ったのは弥左衛門である。 「うん、そうだろうな俺もそうだ」 緋鯉の藤兵衛もものうそうである。 「長兵衛親分がああなって以来、俺ア眼の前が真っ暗になった」 「相手の水野一統は、ピンシャンあの通り生きていて、なんのお咎めもないんだからなあ」 これが弥左衛門には心外らしい。 「それにさ唐犬の兄貴達が、水野を討とうと切り込んで、手筈狂って遣り損なってからは、いよいよお上の遣り口が、片手落偏頗に見えてならねえ」 これにも弥左衛門は不平らしい。 「うん、そいつだよ、偏頗だなあ」 緋鯉の藤兵衛も不平らしく、 「爾来お上では俺達を、眼の敵にして抑えるんだからなあ」 「兄弟分の大半は、遠島の仕置にされてしまった」 「町奴の勢力も地に落ちたよ」 「そいつも水野をはじめとし白柄組の連中のお蔭だ」 「その連中がよ、どうかというに、近来益々**のさばり**居る」 「夜ふけて通るは何者ぞ、加賀爪甲斐か泥棒か、さては坂部の三十か......江戸の人達は唄にまで作り、恐れおびえているのになあ」 「お上の片手落ちも甚しいものさ」 緋鯉の兄貴と、釣鐘弥左衛門、にわかに調子を強めたが、 「それにしても俺たちには不思議でならねえ、唐犬の兄貴一統が水野の屋敷へ切り込んだ時、俺らは旅へ出ていたから、加わることも出来なかったが、兄貴はその時江戸にいたはずだ、それだのに一味に加わらずに、一人仲間から外れたのは、一体どういう訳だろうね? 他ならぬ兄貴のことだから、卑怯の結果とは思われねえが、俺らには訳がわからねえ」 本心を聞きたいというようにグッと弥左衛門眼を据えた。 「うむ、それか」と云ったものの藤兵衛はしばらくは物を云わない。 「やり損なうに相違ないと、俺らハッキリ睨んだからさ」 それから少し間を置いたが、 「相手がああいう相手だけに、一度で片づくと思っては早すぎる。一番手が失敗した場合、二番手の備えをしておかないとの」 「なるほど」と釣鐘弥左衛門、こいつを聞くと頷いた。 「それじゃア兄貴は二番手をもって任じ、長兵衛どんや唐犬の兄貴の、敵を討とうとするのだね?」 「とにかく憎いは旗本奴、わけても水野十郎左衛門、白柄組の一党だよ。この儘**のさばら**せちゃア置かれねえ」 「ところで兄貴、その手段は?」 「ここにあるよ」と胸を打った。 「胸三寸、誰にも言わねえ」 「俺らにも明かせてくれねえのか」 気色ばむ弥左衛門を慰めるように、 「俺一人で出来る仕事なのさ、無駄なたくさんな殺生は俺らにとっちゃア好ましくない。だがな」と藤兵衛**しんみり**となった、「**もしも**のことが俺にあったら、それ、お前とは縁の深い、あの浅草の鐘でもついて、回向というやつをやってくれ。そうしてなんだ俺が死んだら、いよいよ町奴は衰微するだろう、そこでお前だけは生きながらえて、町奴の意気をあげてくれ、こいつが何より肝心だ、それはそうと、**しめっぽく**なった。さあさあこれから一杯飲もう」 5 藤兵衛は谷中に住んでいた。そこで谷中の藤兵衛とも云う。彼は金魚組の頭領であった。そこで緋鯉の藤兵衛とも云う。躯幹長大色白く、凜々たる雄風しかも美男、水色縮緬の緋鯉の刺繍、寛活伊達の衣裳を着、髪は撥髪、金魚額、蝋鞘の長物落し差し洵に立派な風采であった。 そうして彼は名門でもあった。その実姉に至っては、春日局に引き立てられ、四代将軍綱吉の乳母、それになった矢島局であり、そういう縁故があるところから、町奉行以下の役人達も二目も三目も置いていた。但しそのためにそれを利用し、藤兵衛決して威張りはしない。覇気の中にも謙遜を保ち、大胆の中にも細心であった。 だが親分藩隨院長兵衛、水野十郎左衛門のために騙り討たれた。そればかりか唐犬権兵衛、夢の市郎兵衛、出尻清兵衛、小仏小兵衛、長兵衛部下の錚々たる子分が、復讐の一念懲りかたまり、水野屋敷へ切り込んだが、不幸にも失敗をした揚句、一同遠島に処せられても、徳川直参という所から、水野一派にはお咎めもなく、依然暴威を揮っているのが、勘にさわってならなかった。 「どうともして、水野に腹切らせ、白柄組を瓦解させ、一つには親分の恨みを晴らし、二つには兄弟分の怒りを宥め、三つには市民の不安を除き、旗本奴と町奴との長い争いを止めたいものだ」 これは日頃の念願であった。 ところがとうとうその念願が遂げられる機会がやって来た。 「旗本に楯つく町奴というもの、是非とも一度見たいものだ」 将軍綱吉が云い出したのである。 「それでは」と云ったのは松平伊豆守、かの有名な智慧伊豆であった。 「矢島局様実弟にあたる、谷中住居の藤兵衛という者、今江戸一の町奴とのこと。大奥に召すことに致しましょう」 「おおそうか、それはよかろう」 そこで藤兵衛召されることになった。 雀躍したのは藤兵衛である。 「ああ有難え、日頃の念願、それではいよいよ遂げられるか、将軍様を眼の前に据え、思うまんまを振舞ってやろう」 さてその藤兵衛だがその日の扮装、黒の紋付に麻上下、おとなしやかに作ったが、懐中に呑んだは九寸五分、それとなく妻子に別れを告げ、柳営大奥へ伺候した。 町人と云っても矢島局の実弟、立派な士分の扱いをもって丁寧に席を与えられたが、見れば正面には御簾があり、そこに将軍家が居るらしい。諸臣タラタラと居流れている。言上役は松平伊豆、面目身にあまる光栄である。 と、伊豆守声をかけた。 「まず聞きたいは町奴の意気、即座に簡単に答えるがよい」 「はっ」と云ったが緋鯉の藤兵衛、 「強きを挫き弱きを助ける! 町奴の意気にございます」 その言い方や涼しいものである。 「が、噂による時は、放蕩無頼の町奴あって、強きを挫かず弱きを虐げ、市民を苦しめるということだの」 「末流の者でございます」 藤兵衛少しも驚かない。 「言葉をかえて申しますれば、真の町奴にあらざる者が、ただ町奴の面を冠り悪行をするものと存ぜられます」 返答いよいよ涼しいものである。 「町奴風という異風あって、風俗を乱すということであるが、この儀はなんと返答するな?」 伊豆守グット突っ込んだ。 「これは我々町奴が、自制のためにございます。と申すは他でもなく、異風して悪事をしますれば、直ちに人の目に付きます。自然異風を致しますれば、しようと致しましても悪事など、差し控えるようになりましょうか」 「なるほど」と伊豆守頷いたが、 「その方達町奴の家業はな?」 「お大名様や、金持衆へ、奉公人を入れますのが、おおよその商売にございます」 「では大名や金持共の、よくない頼み事も引き受けて、旗本ないし、貧民どもに、刃向かうようになろうではないか」 「とんでもない儀にございます」 藤兵衛ピンと胸を反らせた。 「ご贔屓さまはご贔屓さま、なにかとご用には立ちますが、儀に外れたお頼みは、引き受けることではござりませぬ」 立派に言い切ったものである。 「さようか」と伊豆守打ち案じたが、 「では町奴と申すもの、世上の花! 仁侠児だの」 「御意の通りにございます」 「で近世名に高い、町奴といえば何者かの?」 声に応じて緋鯉の藤兵衛、ここぞとばかり大音に言った。 「近世最大の町奴、藩隨院長兵衛にございます」 「ふふん、さようか、藩隨院長兵衛?」 伊豆守、首を傾げた。 「その藩隨院長兵衛というもの、町人の身分でありながら旗本水野十郎左衛門に、無礼の振舞い致した由にて、水野十郎左衛門無礼討にしたはず、さような人間が偉いのか」 「申し上げます」と緋鯉の藤兵衛、この時ズイと膝を進めた。 それから云い出したものである。 「藩隨院長兵衛事一代の侠骨、町奴の頭領にございました。江戸に住居する数百数千、ありとあらゆる町奴、みな長兵衛を頭と頼み、命を奉ずる手足の如く、違う者とてはございませんでした。さてところでその長兵衛、どのような人物かと申しますに、素性は武士、武術の達人、心は豪放濶達ながら、一面温厚篤実の長者、しかも侠気は満腹に允ち生死はつとに天に任せ悠々自適の所もあり、子分を愛する人情は、母の如くに優しくもあれば、父の如くに厳しくもあり、洵に緩急よろしきを得、財を惜しまずよく散じ、極めて清廉でございました。然るに」と言うと緋鯉の藤兵衛、またも一膝進めたが、 「一方水野十郎左衛門、天下のお旗本でありながら、大小神祇組、俗に申せば、白柄組なる組を作られ、事々に我々町奴を、目の敵にして横車を押され、町中においても、芝居小屋においても、故なきに喧嘩口論をされ、難儀致しましてござります。自然私共におきましても、自衛の道を講ぜねばならず、それがせり合っていつも闘争、案じましたのが長兵衛で、なんとか和解致したいものと、心を苦しめて居りました折柄、水野様より参れとの仰せ、これ必ず長兵衛をなきものにしよう魂胆と、子分一同諫止しましたところ、この長兵衛一身を捨て、それで和解が成り立つなら、これに上越す喜びはないと、進んで参上致しました結果が、案の定とでも申しましょうか。水野十郎左衛門様をはじめとし、白柄組の十数人、一人の長兵衛を切り刻み、その上死骸を荒菰に包み、**むご**たらしくも川に流し、ご自身方は今に繁昌、なんのお咎もなきご様子、殿!」と云うと今度は藤兵衛スルスルスルスルと下ったが、額を畳へ押し付けてしまった。 6 畳へ押し付けた額を上げると、藤兵衛云い出したものである。 「長兵衛は男にございます。それに反して、水野様は、卑怯なお侍にござります」 グッとばかりに唾を呑んだが、 「天下のお政治と申すものは、公平をもって第一とする、かよう承わって居りましたところ男の長兵衛が犬死をし、卑怯者の水野殿は、お咎なし! 伊豆守様!」 凄まじい眼、臆せず伊豆守を睨みつけた。 「御身ご老中でおわしながら、それでよろしゅうござりましょうか! さあご返答! お聞かせ下され!」 なんと云う大胆、なんという覇気、将軍の面前老中を前にこれだけのことを云ったのである。 「うむ」とは云ったが伊豆守、なんと返答したものか当惑したように黙ってしまった。 と、その時一人の近習、伊豆守の側へ進み寄ったが何やら伊豆守へ囁いたらしい。 「は」と言うと伊豆守、一つ頷くと微笑した。 「藤兵衛」と呼んだが愛嬌がよい。 「町奴の勇ましい心意気、上様にも悉くお喜びであるぞ。ついては」と云うと居住居を正し、 「上様御諚、町奴としての、何か放れ業を致すよう」 こいつを聞くと緋鯉の藤兵衛、さも嬉しそうに言上した。 「お庭拝借致しまして、町奴に似つかわしい放れ業、致しますでござります」 「おうそうか、隨意に致せ」 そこで藤兵衛庭へ下り、素晴らしい一つの放れ業をした。そうして、それをしたために、公平な政治が行なわれ、水野は切腹、家は断絶、白柄組一統の者、減地減禄されることになった。 その放れ業とはなんだろう。 藤兵衛、腹切って死んだのである。 「町奴の肝玉ごらん下され!」 叫ぶと一緒に臓腑を掴み出し、地上へ置くと、 「藩隨院長兵衛と黄泉において、水野の滅亡、白柄組の瓦解、お待ち受け致すでございましょう!」 そのまま立派に死んだのである。 緋鯉の藤兵衛の葬式が、非常に盛大に行なわれた日、浅草寺で鳴らす鐘の音が一種異様の音を立てた。 手慣れた寺男のつく鐘とは、どうにも思われない音であった。 それは当然と云ってよい、ついたのは釣鐘弥左衛門なのだから。
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NDC K913
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新字新仮名